2015年9月22日火曜日

幼児の白馬三山縦走

◉白馬大池〜小蓮華山〜白馬岳〜杓子岳〜白馬鑓ヶ岳〜鑓温泉 〔12時間〕

6才の幼児が2足で歩行できないほど急勾配な山頂へのアリ地獄。はいつくばって必死に登っては滑り落ちる息子いずみ。それを見るに見かねた兄貴はじめに背中を押されて半べそをかきながらの登頂への戦いはこの場で1時間ほど費やしたろうか。


●杓子岳山頂を望む泉君の背後に緑と雪渓、遠方には毛勝三山


「白馬鑓ヶ岳」だと思い込んで登頂した山頂を示すポールには見た事も聞いた事もない文字「杓子岳(しゃくしだけ)」と刻まれていた。山岳初心者(白馬三山は山小屋で登山者から教えてもらった)。まさか道を間違えたか。時はすでに山時間では夕刻の14時を過ぎていた。「白馬鑓ヶ岳」から宿としている山小屋「鑓温泉小屋」まで2時間半。幼児連れなので3時間を見込むと14時+3時間=17時の日暮れ前には山小屋に到着する予定だった。


本日の行程は「大池山荘」を発ち「小蓮華山(これんげさん)」「三国境」。昼食は「白馬山荘」にて。そして「白馬鑓ヶ岳」を経て宿としている山小屋「鑓温泉小屋」まで。標準行程8時間に昼食と余裕を見込んで10時間。遅くても朝7時に出発して日暮れ前の17時に宿に到着予定。天候に左右される事は周知の上で、最悪は「白馬山荘」に難を逃れるつもりだ。


「杓子岳」山頂で持参の山岳地図に目を配る。すると「杓子岳」だけが蛍光ペンでマークされていなかった。毎年のことだが建築士の設計製図試験の講師として問題文の重要ポイントには生徒に向かって口酸っぱく『マークしろよ!』『マーク忘れが命取り』と、つい10日ほど前まで口にしていた事がここにきて自分に降りかかってくるとは思いもよらなかった。


『建築士の試験は精神力も必要』『あせりは禁物』そんな講師として生徒に向ける言葉を今日は自分自身に言い聞かせる。「杓子岳」から稜線(りょうせん:連なる山の山頂から次の山頂に至る道)を歩き出した時、まだ幼児である息子いずみを今回連れ出した自分を少し疑い始める。疑心暗鬼で向かう稜線では初めて足がすくんだ。もう後戻りはできない。



●杓子岳山頂からの稜線を挟んで右は巻道へ落ちるザレの急斜面、
 左は間違いなく死に至る絶壁、後方には白馬鑓ヶ岳がそびえる
 霧が出てきたら間違いなく巻道へのがれるしかない危険な場所




⚫︎杓子岳を下るとすぐに壮大な白馬鑓ヶ岳が目前に控える
 今まで全く問題なかった元君は杓子岳山頂すぐの断崖絶壁
 後だけに、この稜線ルートを見ると少しだけおじけづきはじめた


共倒れは予期せぬ出来事だ。予定外の杓子岳での1時間ほどのタイムロスに加えて、疲労感が恐怖感に変わった小学5年生はじめ(10才)は白馬鑓ヶ岳の壮大な稜線ルートを目前に悲鳴をあげた。年長いずみ(6才)のもしものときはバックパックをはじめに背負わせ、体重20kほどのいずみを背負って山道を進む覚悟はできていたが、はじめまで倒れるともうお手上げだ。白馬鑓ヶ岳を前にアセリが抑えられないと同時に子どもたちが無事に宿「鑓温泉小屋」まで辿り着けるか本当に不安になってきた。


●白馬鑓ヶ岳の岩登り後のダミー頂上は道巾も狭く足がすくむ
 雨天時は視界も悪く本当に危険が伴なう場所の一つだろう
 もはや後戻りができない道を一歩ずつ確実に前に進むしかない


白馬鑓ヶ岳山頂では登山者は我々だけ。3人そろっての記念撮影はできない。自動タイマーを利用した撮影を行なう心理的な余裕は全くなかった。時間は既に15時を大きくまわっていて大半の登山者は今晩過ごす山小屋やテント場に到着しているころだ。子連れの父親ならなおさら到着、いや到着していなくても到着の目処はつけていなければならない時間帯だ。

行き交う登山者は殆ど見当たらない。唯一同じ方向に向かっている登山者は我々前方に1組。急ぎ白馬鑓ヶ岳の急勾配のザレ(砂利道)を下山して行く。登頂時にルートを間違えないように遠目で後を追っていたヘルメットを装着した年配の2人組は我々をどんどん突き放して進んで行く。さらに追い討ちをかけるようにこの時間帯では珍しい反対方向から来た単独の年配登山者は、わたしが「鑓温泉小屋」まで『今日』行くことを告げるとかなり驚いた様子で『あの下りを?』と子どもたちに目を向ける。そこは数々の修羅場を経験した長澤。『そう』とあっさり笑顔で答えてその場を後にする。

正直、心中は穏やかではなくなってきた。白馬鑓ヶ岳下山中、前方の視界が広がると遥か向こうに立ち止まって我々の先を行く年配登山者2人組に何やら声を掛けている監視人らしき山男が年配登山者に何処まで行くのか尋ねている。はっきりとは聞き取れないがどうやら我々と同じ「鑓温泉小屋」に向かっているらしい。これは心強い反面、年配登山者2人組が我々には目も向けず小走りに突き進んでいく彼らの行動を見ていると、彼らが必死に日暮れ前に目的地に辿り着こうとしている事が容易に手に取るように分かった。

その後、何処からともなく現れた単独の女性登山者がその監視人らしき山男と話をしている。どうやら力尽きて歩けないようでヘルプを求めているように見える。なんということだ。しかし山男はあっさりと何か指示をしてすぐさまその場を後にして、我々のほうに向かってザレ場を登ってきた。間違いなく声を掛けられるかと思ったがその気配がないのですれ違いざまこちらから声を掛ける。『鑓温泉小屋までどのくらいかかるか?』山男は子どもたちに目を向け『3時間は軽くかかる』とわたしに告げるとすぐに『ヘッドライトはあるか?』『鑓温泉小屋までの下りの岩場は危険で鎖がある。子どもたちにはくれぐれも気をつけるように』とだけ告げて鑓ヶ岳山頂に向かって去っていった。山岳初心者であるわたしは「鑓温泉小屋」に向かう下山ルートが危険だと知ったのはその時であった。

視界にはいつの間にか登山者がまったくいなくなった。遠く鑓ヶ岳山頂では先ほどの山男が360度見渡して登山者がいないか監視をしているようだ。先ほどの単独女性登山者は鑓温泉分岐点を少し通り過ぎて天狗山荘側にいったところで携帯電話で何やら話をしている。『お願いします』とだけはっきりと聞える。どうやらヘルプを頼み込んでいる様子である。彼女は我々が近くにいることは気が付いているとは思うが、近くの登山者より遠くの救助隊を頼りにしているようで、こちらから声をかけるのは躊躇した。分岐点には『天狗山荘まで30分』とあり、天狗山荘とそのテント場はこの分岐点からテントの数がはっきりと数えられるほど見て取れる距離にある。もはや30分も歩けないのだろうか。

後ろ髪を引かれるようにその分岐点から「鑓温泉小屋」への下山ルートに足を向ける。女性登山者はまだ携帯電話を放さない。先を行く年配登山者はまったく見えなくなってしまった。わたしはヘッドライトを取り出し帽子の上から装備して日暮れに備える。「鑓温泉小屋」から「天狗山荘」への宿の変更は頭に無かった。子どもたちも急がないと日が暮れてしまうことは分かっている。コンパクトカメラの充電が切れた。「鑓温泉小屋」まで辿り着くことだけに集中しよう。日暮れに加えヘッドライトが機能しない霧でも現れたら全く動きがとれなくなる。


●すぐそこに山荘があることを告げるサインは鑓温泉分岐点にある 


白馬岳(2,932m)・杓子岳(2,812m)・白馬鑓ヶ岳(2,903m)は白馬連峰のなかでも白馬三山と呼ばれる長野県と富山県にまたがる北アルプスの最も代表的な山である。この三山の稜線を歩くことは白馬三山縦走としてガイドブックには欠かせないメインルートで1日あれば十分に縦走可能である。

帰宅後に情報収集して分かった事だが白馬三山縦走の拠点となる山小屋は白馬山荘である。我々はその白馬山荘を昼食をいただくだけの通過点としていた。登山1日のルートとしては長すぎたのか。やはり幼児には困難な山、北アルプスなのか。いやそんなことはない。一日目の栂池山荘から天狗原そして大池山荘までのルートは標準時間どおりに進むことができていた。今日、朝6時半に大池山荘を発ち小蓮華山、三国境を経て白馬岳登頂までのルートはほぼ標準時間どおりに進んでいた。


●何度もダミーの頂上を越えてようやくたどり着いた白馬岳山頂


登山中、わたしは歩行ペースが遅いとはまったく感じなかった。にもかかわらずなぜ遅れをとったのだろうか。子どもたちが遅かったわけではない。帰宅後に自宅で持参していた山岳地図をよく見て驚いた。標準時間の計算は杓子岳の巻道(トラバース道と言うそうだ)が計算基準となっていて杓子岳登頂に費やしたあの6才児が2足歩行不可能だった急勾配のザレ場は含まれていなかったのである。つまりわたしのルート標準時間計算、つまり地図の読み方が間違っていたのだ。

タイムロスに気がついた杓子岳山頂からペース維持の為、はじめてわたしが先頭を歩き子どもたちを牽引。15時45分に鑓温泉分岐点を通過する。「鑓温泉小屋」まで山男によると3時間。到着は日暮れ後の18時45分。19時をまわるかもしれない。同じく山男が警告していた岩場しだいか。幸い天候には恵まれていて視界は全く問題がない。危険な岩場に日暮れ前に着くかが勝負だ。

46才、6才、10才の順で急斜面のザレを急ぎ下る。意識的に子どもたちから先頭のわたしが見えるか見えないほどの間隔をキープして、子どもたちを牽引する。休憩タイムの有無がこの先の明暗を分ける瀬戸際であり、気が気ではない。牽引方法は下りては立ち止まり、下りては立ち止まり、そして子どもたちの姿が見えるのを待つ。大人と幼児のスピードは歴然としている。帽子のツバ越しに見え隠れする子どもたちの瞳に疲労と不安を感じ取る事ができる。

そんな賢明な子どもたちの姿を見ているうちに、まるで熱が冷めたように先ほどまでのアセリがまったくなくなっている自分に気がついた。むしろ子どもたちの姿を微笑ましく思い、いま子どもたちと一つの同じ目標をもって山を下りている自分がとても幸せである事に気がついた。子どもたちが成長している姿をLIVEでしかも最前列から独り占めしているのである。ふと気がつくと、ほのかに硫黄臭が鼻を突く。鑓温泉は確実に近づいている。

1時間ほど山を下ると鎖が打ってある岩場に辿り着く。幸い17時前で少しうっすら暗くなり始めているが視界は良好だ。確かに鎖なしでは歩行は不可能で、誤って鎖から手を離したり、足元を滑らせた瞬間に鎖をつかんでいなかったりすると間違いなく墜落する。大きな怪我は免れない危険な場所だ。

一歩一歩、身体を岩の背にしがみつくように鎖をつかみ、蟹歩き。一歩一歩、足を掛ける場所を指示しながら、『鎖を離しちゃだめだ』『両手で鎖を持て』と、すぐ後を付いてくる幼児いずみから目が離せない。いつ足を滑らせて転落するかもしれない。その瞬間に自分の左手でいずみの腕を掴み取るイメージをトレーニングする。さらにその後ろからくる兄貴、はじめにも注意が必要だ。

渓谷を下り続け、あたりが暗くなり始めた18時ごろ、道行く先に見える川に大きな雪渓が目に入る。その雪渓を目前に道は川沿いに左に折れている。ふと川下に目をやると黄色い建物の屋根が見えた。「鑓温泉小屋」だ。子どもたちからは歓喜の声。IPADにはまだ電池が残っている。ゆっくり腰をおろしてバックパックからIPADを取り出し、その光景にシャッターを切る。


●安堵感が一気に広がったこの光景はしっかり脳裏に焼きついている


「鑓温泉小屋」では友人たちと落ち合う予定で、小屋付近まで下りていくと友人の一人が小屋からこちらに向かって歩いてくる。我々の到着を待ちわびていてくれたようだ。宿の方、一部の登山者にも友人は我々の到着が遅れている事を告げていて、我々を心配して登山道を登るつもりでいてくれたようだ。

夕飯は茶碗飯4杯をペロリ。そして待望の山小屋にある温泉「白馬鑓温泉」を堪能する。その友人がいつの間にシャッターを切ったのか。3人そろって温泉につかる写真をアップしておく。

●念願の「鑓温泉」は良質な泉質で夜でもふんだんな湯の花が目に付く




 ●全長12km 高低差1,000m 積算標高差 上り1,300m 下り1,700m

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