Today, I signed up for a Japan Airlines mileage card, not a credit card, for my son. He, is going to be a junior high student this coming April, and I are going to Nepal coming at the end of next month.
Yes, it's his graduation trip. Last week, I appied for his passport that valid for 5 years. As for me, this is going to be the second time to visit there. Traveling Nepal is mainly trekking on Himalaya. After trekking, my plan is going to a national park that boasts a lot of different species of mammals, including rhinos, tigers, deer, monkey, elephants, leopards, sloth bears, wild boar and hyena. And also birdwatching is very popular, but I don't know anything about it.
By the way, do you get miles using your credit card? The good thing is that you get extra miles when you use it. My credit card is not an Airlines. I don't earn miles by shopping at all.
2017年2月28日火曜日
2016年9月15日木曜日
西生浦倭城 ソセンポわじょう
◉行き方(2016年9月15日現在)
詳しく(ナムチャン⇒チナ〔西生浦倭城〕)その1
ナムチャンのバス停で降りると目の前は小さな郵便局。そこで他のバスを待っている青年にチナ方面の市内バスのバス停は此処かと訪ねると、そこからすぐの路地を曲がったところにある別のバス停まで丁寧に案内された。しかし不運にも次のバスが来るまで50分ほど待たされるようだ。迷うことなくすぐさまタクシーを捕まえて西生浦倭城へ向かうことにした。
あたりを見渡すと人通りもまったくなく、どの商店もシャッターがしっかりと閉められている。今日は韓国の祝日、チュソク(秋夕)の中日であることが理由か不明だか、町はすっかり静まり返っている。これではタクシーが捕まるのかまったく不安である。。。しかし、ものの1分もしないうちにタクシーが現れ、片手を軽く上げると目の前で止まった。すぐさま助手席に乗り込み(韓国人は1人でタクシーに乗るときは後部席ではなく助手席に乗り込む。勿論自動ドアではないがメーターはしっかりしたものがついているので安心だ~サヨンド島でタクシーに乗った時はメーターがあるにもかかわらず言い値を言ってきた運転手もいた)ガイドブックの西生浦倭城のハングル文字の部分を指差して行き先を告げると少し驚いた様子でこちらをチラリと見る中年の運転手。また私が日本人に見えなかったということか。。。
歴史の場所に立つ
日本側総勢15万人といわれる文禄の役が起こった1592年の翌1593年に海抜133mの山頂に築かれたこの平山城(ひらやまじろ:平野にある丘陵、山に築かれた城)は聞くところあの加藤清正の指揮で取り仕切られたそうだ。当時築かれたこれらの石垣に実際に自分の手で触れてみると間接的に400年前の男たちと握手をしたような妙な感覚を覚えた。
山の中腹までさしかかるには大して時間はかからない。400年前の石垣に目を凝らしてふと来た道を振り返ると水平線がうっすらと見え隠れする。その青い海の向こうには確かに日本列島が見えるはずだ。戦で命を落とすかもしれないと躊躇いながらも、さらに命をかけてこの海をはるばる渡ってきた当時の武将たちのことを思うと、この平和な現代に生かされている自分がいかに軟弱で半端な男かと、少しだけ情けなくなってしまった。
調べるところ加藤清正は漢城(ソウル)を経由して一時は明の東北部(中国東北部:満州)まで攻め込んだといわれているが、その後に義兵隊を含めた朝鮮・明軍の総勢24万人は日本軍を釜山まで撤退させ文禄の役(1592-1593)は終結したようである。聞き覚えのある「清正の虎狩り」はこの当時に行なわれたという伝えがあります。自らの安全のため又、主君秀吉が欲した虎の肉を得るため見事に槍で人喰い虎を捕らえたそうです。惚れる!
詳しく(チナ〔西生浦倭城〕⇒ナムチャン)
帰りは市内バスでナムチャンまで戻ることにした。来るときにタクシーが右折した路地まで徒歩で戻ると次の715番のバスが来るまで42分。これは海まで散歩しない訳にはいかない。海から戻ると先ほど確認したバスの時間はナムチャン方向とは逆の方向のバスの電光掲示板であった事に気が付く。すぐさま振り返り、道路の反対側をみると木陰に隠れているように同じ姿かたちの電光掲示板が建っている。急ぎ駆け込み同じ番号、715番の待ち時間を恐る恐る見る。幸運にも待ち時間はあと15分。胸をなでおろした瞬間だ。
ナムチャン方面のバスを待っていると先に405番のバスが到着した。乗車口から1段上って運転手に「ナムチャン?」と聞いたら「降りろ!」と言わんばかりの仕草。その後に到着した715番のバスの運転手からは「乗れ!」の合図。乗車後しばらくしてから窓越しに停車するバス停毎に「ナムチャン」の文字を逃さないように凝視する。全ての停留所にアルファベット文字の記載があるので安心だ。10分ほどバスに揺られ、どうやら次のバス停がその「ナムチャン」のようだが一緒に乗り合わせた現地の若者はまだ降りるなという。わたしがプサンに行く事を知っている彼らはその「ナムチャン」から2つほど先のバス停「ナムチャンハイスクール」で降りろとアドバイス。ここは素直に従いそこで下車する事にした。
詳しく(ナムチャン⇒ヘウンデ)
「ナムチャンハイスクール」のバス停で降りた後はプサン行きのバス停を訪ねる。川を渡るように言われ、言われるがままに橋を渡ると市外バスに乗って来るときに下車したあの郵便局。近くの酒屋でプサン行きのバス停を訪ねると、どうやらすぐ先の路地を曲がれと言っているようだ。お見事!これまた来るときに青年に丁寧に案内されたバス停であった。
釜山(プサン)の海雲台(ヘウンデ)にある市外バスターミナルから鎮下(チナ)行きのバスに乗ろうとしたら既に廃止されていた。切符売場の人にチナ近くの町、南倉(ナムチャン)で下車して市内バスに乗り換えるように勧められたので行き方の参考にして下さい。
往路
ヘウンデ⇒ナムチャン(市外バス W4,300 約45分)
ナムチャン⇒チナ〔西生浦倭城〕(タクシー W8,800位 約10分)
復路
チナ〔西生浦倭城〕⇒ナムチャン(市内バス W1,300 約15分)
ナムチャン⇒ヘウンデ(市外バス W4,300 約45分)
ナムチャン⇒ヘウンデ(市外バス W4,300 約45分)
詳しく(ヘウンデ⇒ナムチャン)
地下鉄2号線のヘウンデ駅の2番出口を出てそのまま通り沿いに200m程歩いた左側に新しいバスターミナルがある。バスターミナルといっても普通の建物で、覗き込んでも切符売場しか見えないが安心してほしい。バスは建物の裏側に隠れていてしっかり出番を待っている。発車時刻少し前にバスが切符売場前の路上に到着し、定刻に出発する。決して焦って時刻前に来るバスに乗ろうとしてはならない。わたしは2回も誤ったバスに乗りかけてしまった。韓国でバスに乗るには正確な腕時計が必要で、更に乗車口越しに運転手に大きな声で恥ずかしがらす「ナムチャン?」と確認して切符を手渡しすれば間違いないだろう。
プサンのヘウンデにある市外バスターミナル |
詳しく(ヘウンデ⇒ナムチャン)
地下鉄2号線のヘウンデ駅の2番出口を出てそのまま通り沿いに200m程歩いた左側に新しいバスターミナルがある。バスターミナルといっても普通の建物で、覗き込んでも切符売場しか見えないが安心してほしい。バスは建物の裏側に隠れていてしっかり出番を待っている。発車時刻少し前にバスが切符売場前の路上に到着し、定刻に出発する。決して焦って時刻前に来るバスに乗ろうとしてはならない。わたしは2回も誤ったバスに乗りかけてしまった。韓国でバスに乗るには正確な腕時計が必要で、更に乗車口越しに運転手に大きな声で恥ずかしがらす「ナムチャン?」と確認して切符を手渡しすれば間違いないだろう。
切符の行き先欄にはローマ字で Namchang と刻まれていたので安心だ |
詳しく(ナムチャン⇒チナ〔西生浦倭城〕)その1
ナムチャンのバス停で降りると目の前は小さな郵便局。そこで他のバスを待っている青年にチナ方面の市内バスのバス停は此処かと訪ねると、そこからすぐの路地を曲がったところにある別のバス停まで丁寧に案内された。しかし不運にも次のバスが来るまで50分ほど待たされるようだ。迷うことなくすぐさまタクシーを捕まえて西生浦倭城へ向かうことにした。
あたりを見渡すと人通りもまったくなく、どの商店もシャッターがしっかりと閉められている。今日は韓国の祝日、チュソク(秋夕)の中日であることが理由か不明だか、町はすっかり静まり返っている。これではタクシーが捕まるのかまったく不安である。。。しかし、ものの1分もしないうちにタクシーが現れ、片手を軽く上げると目の前で止まった。すぐさま助手席に乗り込み(韓国人は1人でタクシーに乗るときは後部席ではなく助手席に乗り込む。勿論自動ドアではないがメーターはしっかりしたものがついているので安心だ~サヨンド島でタクシーに乗った時はメーターがあるにもかかわらず言い値を言ってきた運転手もいた)ガイドブックの西生浦倭城のハングル文字の部分を指差して行き先を告げると少し驚いた様子でこちらをチラリと見る中年の運転手。また私が日本人に見えなかったということか。。。
歴史の場所に立つ
日本側総勢15万人といわれる文禄の役が起こった1592年の翌1593年に海抜133mの山頂に築かれたこの平山城(ひらやまじろ:平野にある丘陵、山に築かれた城)は聞くところあの加藤清正の指揮で取り仕切られたそうだ。当時築かれたこれらの石垣に実際に自分の手で触れてみると間接的に400年前の男たちと握手をしたような妙な感覚を覚えた。
山の中腹までさしかかるには大して時間はかからない。400年前の石垣に目を凝らしてふと来た道を振り返ると水平線がうっすらと見え隠れする。その青い海の向こうには確かに日本列島が見えるはずだ。戦で命を落とすかもしれないと躊躇いながらも、さらに命をかけてこの海をはるばる渡ってきた当時の武将たちのことを思うと、この平和な現代に生かされている自分がいかに軟弱で半端な男かと、少しだけ情けなくなってしまった。
調べるところ加藤清正は漢城(ソウル)を経由して一時は明の東北部(中国東北部:満州)まで攻め込んだといわれているが、その後に義兵隊を含めた朝鮮・明軍の総勢24万人は日本軍を釜山まで撤退させ文禄の役(1592-1593)は終結したようである。聞き覚えのある「清正の虎狩り」はこの当時に行なわれたという伝えがあります。自らの安全のため又、主君秀吉が欲した虎の肉を得るため見事に槍で人喰い虎を捕らえたそうです。惚れる!
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蔚山倭城籠城屏風絵(Wikipediaより) |
文禄の役は終結したものの日本勢は朝鮮半島に築いた城(倭城)に駐留していたそうである。慶長の役(1597-1598)の1597年、調べるとこ清正は西生浦倭城から約15kmほど離れた蔚山(ウルサン)倭城に入り籠城して毛利秀元(元就の四男、穂井田元清の長男)・黒田長政らの援軍によって明軍に勝利したといわれている。改めて思うが400年以上も前から韓国と中国と戦っていた日本。仕掛けたのは日本だが欧州国が東アジアを攻めてくるこの大航海時代。ただ指をくわえているか、さもなくばこちらから動くか。貴方ならどうする。
バス停は Haemaji-ro で 1639番 |
詳しく(ナムチャン⇒チナ〔西生浦倭城〕)その2
ナムチャンから運よく市内バスに乗れたら進行方向右側に座りバス停脇の漢字で大きく書かれた看板「西生浦倭城」が目印だ。しかし、いきなり下車できないので次のバス停(おそらく次のバス停がチナ)で降りても西生浦倭城までの距離は殆ど変わらない。チナのバス停付近にはコンビニエンスストアが数店あるので必要なものがあればそこで調達できる。
ナムチャンから運よく市内バスに乗れたら進行方向右側に座りバス停脇の漢字で大きく書かれた看板「西生浦倭城」が目印だ。しかし、いきなり下車できないので次のバス停(おそらく次のバス停がチナ)で降りても西生浦倭城までの距離は殆ど変わらない。チナのバス停付近にはコンビニエンスストアが数店あるので必要なものがあればそこで調達できる。
チナのバス停方面から臨むと山頂に威風堂々とした石垣が臨める |
詳しく(チナ〔西生浦倭城〕⇒ナムチャン)
帰りは市内バスでナムチャンまで戻ることにした。来るときにタクシーが右折した路地まで徒歩で戻ると次の715番のバスが来るまで42分。これは海まで散歩しない訳にはいかない。海から戻ると先ほど確認したバスの時間はナムチャン方向とは逆の方向のバスの電光掲示板であった事に気が付く。すぐさま振り返り、道路の反対側をみると木陰に隠れているように同じ姿かたちの電光掲示板が建っている。急ぎ駆け込み同じ番号、715番の待ち時間を恐る恐る見る。幸運にも待ち時間はあと15分。胸をなでおろした瞬間だ。
時間に余裕があれば海風を浴びよう |
ナムチャン方面のバスを待っていると先に405番のバスが到着した。乗車口から1段上って運転手に「ナムチャン?」と聞いたら「降りろ!」と言わんばかりの仕草。その後に到着した715番のバスの運転手からは「乗れ!」の合図。乗車後しばらくしてから窓越しに停車するバス停毎に「ナムチャン」の文字を逃さないように凝視する。全ての停留所にアルファベット文字の記載があるので安心だ。10分ほどバスに揺られ、どうやら次のバス停がその「ナムチャン」のようだが一緒に乗り合わせた現地の若者はまだ降りるなという。わたしがプサンに行く事を知っている彼らはその「ナムチャン」から2つほど先のバス停「ナムチャンハイスクール」で降りろとアドバイス。ここは素直に従いそこで下車する事にした。
正面の平屋小屋がヘウンデに戻るナムチャンの市外バス乗り場 やや左側に見える市内バス停のポールはチナ方面のナムチェンのバス停 |
詳しく(ナムチャン⇒ヘウンデ)
「ナムチャンハイスクール」のバス停で降りた後はプサン行きのバス停を訪ねる。川を渡るように言われ、言われるがままに橋を渡ると市外バスに乗って来るときに下車したあの郵便局。近くの酒屋でプサン行きのバス停を訪ねると、どうやらすぐ先の路地を曲がれと言っているようだ。お見事!これまた来るときに青年に丁寧に案内されたバス停であった。
ヘウンデへ向かう市外バスは日中約30分間隔で運行しているようだ |
2014年12月17日水曜日
MANHATTAN
18才、自由はあるが金がなかった。
45歳、金はあるが自由がなかった。
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30年前、初めて聴くアメリカンポピュラーミュージックにはまり、後に貸レコード屋の常連になった中学三年生。 シカゴ、ホール&オーツ、TOTO、ビリージョエル、マイケルジャクソン、、、のちにブリティッシュロックの存在を教えてくれたザ・ポリース。 アメリカ、ニューヨークは圧倒的な存在感でショウビズ界の中心として今も世界をリードしている。
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30年前、初めて聴くアメリカンポピュラーミュージックにはまり、後に貸レコード屋の常連になった中学三年生。 シカゴ、ホール&オーツ、TOTO、ビリージョエル、マイケルジャクソン、、、のちにブリティッシュロックの存在を教えてくれたザ・ポリース。 アメリカ、ニューヨークは圧倒的な存在感でショウビズ界の中心として今も世界をリードしている。
80年代はポップス全盛期。そんな時、日本ではアイドル全盛期。松田聖子、中森明菜、たのきんトリオ、シブガキ隊、、、まだ河田町にあったフジテレビの人気歌番組、夜のヒットスタジオでは人気歌手があの手この手と工夫を凝らし、視聴者を釘付けに熱唱しているなか、視聴率がピークに達する
22:30過ぎ、来日した洋楽歌手が、涼しげに口パクで日本のアイドル歌手を煙りにまいた。時代はまだアメリカに追いついていない。インターネットが世界を変えたグローバル時代の昨今、2010年代まではあと30年の歳月が必要であった。そんな時代背景、高校卒業後の東京育ち18才の夢の選択肢の一つにニューヨーク、アメリカがあった。
クリストファー・クロス『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』
クリストファー・クロス『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』
「ニューヨーク」といえば日本テレビの80年代を代表するスペシャル番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』の当時の日本人を象徴するフレーズ「ニューヨークに行きたいか!?」である。バブル経済の前、まだ日本人には海外旅行は高嶺の花であり、アメリカを横断しながらニューヨークまで行けるとは今の世界二周旅行に匹敵する。(昨今の世界の旅先で出会う日本の若者は世界一周を「一周」と言い、人気渡航先の一つである)まだニューヨークを「入浴」とかけた駄洒落がまかりとおっていた時代である。18才の都会っ子は大学進学を決断し、渡米の夢はそれから27年の歳月がかかった45歳、ようやくようやく手に入れたニューヨーク行きのフライトチケットであった。
『アメリカ横断ウルトラクイズ』日本テレビつづく
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