2016年9月25日日曜日

市原ぞうの国

一度行きたかった市原ぞうの国。公的な動物園とは異なるスタイルのぞうの国に期待は膨らむ。全体的にレトロな設備で動物たちを囲む鋼製の檻も必要最低限。動物によっては直接触れ合うこともできるし、園内で販売しているミニバケツに入ったニンジンとバナナのおやつ(500円)をあげることができる他には類を見ない動物園で子どもたちも大満足だ。


誰でも気軽に直接動物に触れることができるのが素晴らしい



久しぶりの雨なしの休日。横浜を9:00過ぎに出て日曜日のアクアラインの流れに支障は無い。高速道路ノンストップでちょうど1時間ほどで到着する。距離にすると横浜から御殿場くらいの距離であろうか。ぞうの国は圏央道の市原鶴舞より直ぐでアクセスは良好だ。


「ぞうさんショー」の後半に行われた『お絵かきタイム』



さてお待ちかねの「ぞうさんショー」が午前の部は11:00から始まった。約1時間に及ぶこのショーはタイ出身の多くのゾウ使いたちの存在や自ら進行役のサユリ園長にも驚いたが、なんといっても見逃せないのがショー後半のゾウさんの『お絵かきタイム』だ。3頭のゾウが代わる代わる交代で1つの絵を完成させていく。3頭目の9才になるメスのアジアゾウの「ユリカ」が仕上を行なう。これには全く脱帽だ。また出来栄えがなんも素晴らしい。



本日の作品かと思いきや微妙にタッチが違う。。 タイトルは『おぼろ月夜と兎』?



ゾウ以外の動物は思いのほか沢山いた。アザラシやマゼランペンギン(いずれも1匹のみで少々くたびれているようにも見えた)をはじめフラミンゴとペリカンは大群で。そしてイグアナ(1匹)にワニ(3匹)までいた。中でも2つコブのラクダの親子は素晴らしいフォルムをみせてくれた。2つコブのラクダを見るのは覚えている限り生まれて初めての経験だ!動物園で子ども3人連れで10,000円以上の支出はさておき、これは他に類を見ない、是非一度は訪れたいおすすめの動物園だ。


ラクダフィールド1週で1,000円/人



時間にして1分と短いが良い思い出になるだろう



隠れたアトラクションとでも言ったらいいのか。このカバ(1匹のみ)は午前中はおとなしく静かに横たわっているだけで見るに足らない状態だったが、午後のえさの時間になると別人のように自慢の巨大な口あごを披露してくれた。その口あごは1m程度の高さしかない柵を超えんばかりの迫力で、何の前ふりも無くわたしたちの目の前で突然行なわれた。このパフォーマンスにはかなり驚かされたが大いに楽しめた。おすすめ。




ホームページやパンフレットには無いこの「カバの大口」は13:30頃行なわれた




動物園のランチはカレーが定番。お子様カレーは500円(紙パックジュース付)。ビーフカレーは800円。ハンバーグカレーは950円。値段のわりに量が全体的に少なめで小1の次男坊は「全然足らない!」と不満プンプンだった。節約志向で訪れるのならオニギリ等を持参するのが手。「お弁当持参はこちらでどうそ」と古い看板があったが、通りすがりの人は「ここお弁当持込禁止ですって?」と話をしていた。可否は不明。ちなみに自動販売機のドリンクは200円で1本のペットボトルが売られている。水筒は持参してもよいであろう。



はじめ 小6 11才 ビーフカレー
いずみ 小1 7才 ハンバーグカレー
まこと 年中 4才 お子様カレーライス


「ぞうのものしり館」にあるゾウの「ユメカ」の作品群は必見。自分が描く桜の木を想像してみれば、「ユメカ」の素晴らしさがわかるだろう。エッ?筆書きの漢字も負けたって?








ぞうの国はショーも含め半日もあれば全体が見渡せる。予定より少し早めの帰路はのんびりと一般道で木更津に向かう。近くのダム湖(高瀧湖)と小湊鉄道を見て今日は早々の帰宅。隣地の公園で子どもたち3人とジョギングで汗を流す。


ダム湖(高瀧湖)に神聖なる鳥居を発見

踏切で小湊鉄道のイベント車両と遭遇

2016年9月15日木曜日

西生浦倭城 ソセンポわじょう

◉行き方(2016年9月15日現在)
釜山(プサン)の海雲台(ヘウンデ)にある市外バスターミナルから鎮下(チナ)行きのバスに乗ろうとしたら既に廃止されていた。切符売場の人にチナ近くの町、南倉(ナムチャン)で下車して市内バスに乗り換えるように勧められたので行き方の参考にして下さい。

往路
ヘウンデ⇒ナムチャン(市外バス W4,300 約45分)
ナムチャン⇒チナ〔西生浦倭城〕(タクシー W8,800位 約10分)

復路
チナ〔西生浦倭城〕⇒ナムチャン(市内バス W1,300 約15分)
ナムチャン⇒ヘウンデ(市外バス W4,300 約45分)




プサンのヘウンデにある市外バスターミナル 



詳しく(ヘウンデ⇒ナムチャン)
地下鉄2号線のヘウンデ駅の2番出口を出てそのまま通り沿いに200m程歩いた左側に新しいバスターミナルがある。バスターミナルといっても普通の建物で、覗き込んでも切符売場しか見えないが安心してほしい。バスは建物の裏側に隠れていてしっかり出番を待っている。発車時刻少し前にバスが切符売場前の路上に到着し、定刻に出発する。決して焦って時刻前に来るバスに乗ろうとしてはならない。わたしは2回も誤ったバスに乗りかけてしまった。韓国でバスに乗るには正確な腕時計が必要で、更に乗車口越しに運転手に大きな声で恥ずかしがらす「ナムチャン?」と確認して切符を手渡しすれば間違いないだろう。


切符の行き先欄にはローマ字で Namchang と刻まれていたので安心だ



詳しく(ナムチャン⇒チナ〔西生浦倭城〕)その1
ナムチャンのバス停で降りると目の前は小さな郵便局。そこで他のバスを待っている青年にチナ方面の市内バスのバス停は此処かと訪ねると、そこからすぐの路地を曲がったところにある別のバス停まで丁寧に案内された。しかし不運にも次のバスが来るまで50分ほど待たされるようだ。迷うことなくすぐさまタクシーを捕まえて西生浦倭城へ向かうことにした。


チナ方面の715番のバスが来るまであと50分のサイン



あたりを見渡すと人通りもまったくなく、どの商店もシャッターがしっかりと閉められている。今日は韓国の祝日、チュソク(秋夕)の中日であることが理由か不明だか、町はすっかり静まり返っている。これではタクシーが捕まるのかまったく不安である。。。しかし、ものの1分もしないうちにタクシーが現れ、片手を軽く上げると目の前で止まった。すぐさま助手席に乗り込み(韓国人は1人でタクシーに乗るときは後部席ではなく助手席に乗り込む。勿論自動ドアではないがメーターはしっかりしたものがついているので安心だ~サヨンド島でタクシーに乗った時はメーターがあるにもかかわらず言い値を言ってきた運転手もいた)ガイドブックの西生浦倭城のハングル文字の部分を指差して行き先を告げると少し驚いた様子でこちらをチラリと見る中年の運転手。また私が日本人に見えなかったということか。。。



タクシーを降りると向かうは山頂の天守閣跡へと胸が高鳴る                         (右の小屋は無人の案内所・正面の小屋はトイレで女性にも安心)



歴史の場所に立つ
日本側総勢15万人といわれる文禄の役が起こった1592年の翌1593年に海抜133mの山頂に築かれたこの平山城(ひらやまじろ:平野にある丘陵、山に築かれた城)は聞くところあの加藤清正の指揮で取り仕切られたそうだ。当時築かれたこれらの石垣に実際に自分の手で触れてみると間接的に400年前の男たちと握手をしたような妙な感覚を覚えた。



西生浦倭城の遺跡全体像



山の中腹までさしかかるには大して時間はかからない。400年前の石垣に目を凝らしてふと来た道を振り返ると水平線がうっすらと見え隠れする。その青い海の向こうには確かに日本列島が見えるはずだ。戦で命を落とすかもしれないと躊躇いながらも、さらに命をかけてこの海をはるばる渡ってきた当時の武将たちのことを思うと、この平和な現代に生かされている自分がいかに軟弱で半端な男かと、少しだけ情けなくなってしまった。


一部に補修跡も見られる石垣の背後には日本海                                                    400年前に清正もこの場所から近くて遠い祖国を思ったに違いない



調べるところ加藤清正は漢城(ソウル)を経由して一時は明の東北部(中国東北部:満州)まで攻め込んだといわれているが、その後に義兵隊を含めた朝鮮・明軍の総勢24万人は日本軍を釜山まで撤退させ文禄の役(1592-1593)は終結したようである。聞き覚えのある「清正の虎狩り」はこの当時に行なわれたという伝えがあります。自らの安全のため又、主君秀吉が欲した虎の肉を得るため見事に槍で人喰い虎を捕らえたそうです。惚れる!




蔚山倭城籠城屏風絵(Wikipediaより)




文禄の役は終結したものの日本勢は朝鮮半島に築いた城(倭城)に駐留していたそうである。慶長の役(1597-1598)の1597年、調べるとこ清正は西生浦倭城から約15kmほど離れた蔚山(ウルサン)倭城に入り籠城して毛利秀元(元就の四男、穂井田元清の長男)・黒田長政らの援軍によって明軍に勝利したといわれている。改めて思うが400年以上も前から韓国と中国と戦っていた日本。仕掛けたのは日本だが欧州国が東アジアを攻めてくるこの大航海時代。ただ指をくわえているか、さもなくばこちらから動くか。貴方ならどうする。




バス停から西生浦倭城の山を見返る

 



帰路の市内バスは715番であと42分?

 



この看板が目印




 

バス停は Haemaji-ro で 1639番



詳しく(ナムチャン⇒チナ〔西生浦倭城〕)その2
ナムチャンから運よく市内バスに乗れたら進行方向右側に座りバス停脇の漢字で大きく書かれた看板「西生浦倭城」が目印だ。しかし、いきなり下車できないので次のバス停(おそらく次のバス停がチナ)で降りても西生浦倭城までの距離は殆ど変わらない。チナのバス停付近にはコンビニエンスストアが数店あるので必要なものがあればそこで調達できる。




チナのバス停方面から臨むと山頂に威風堂々とした石垣が臨める





詳しく(チナ〔西生浦倭城〕⇒ナムチャン)
帰りは市内バスでナムチャンまで戻ることにした。来るときにタクシーが右折した路地まで徒歩で戻ると次の715番のバスが来るまで42分。これは海まで散歩しない訳にはいかない。海から戻ると先ほど確認したバスの時間はナムチャン方向とは逆の方向のバスの電光掲示板であった事に気が付く。すぐさま振り返り、道路の反対側をみると木陰に隠れているように同じ姿かたちの電光掲示板が建っている。急ぎ駆け込み同じ番号、715番の待ち時間を恐る恐る見る。幸運にも待ち時間はあと15分。胸をなでおろした瞬間だ。




時間に余裕があれば海風を浴びよう





ナムチャン方面のバスを待っていると先に405番のバスが到着した。乗車口から1段上って運転手に「ナムチャン?」と聞いたら「降りろ!」と言わんばかりの仕草。その後に到着した715番のバスの運転手からは「乗れ!」の合図。乗車後しばらくしてから窓越しに停車するバス停毎に「ナムチャン」の文字を逃さないように凝視する。全ての停留所にアルファベット文字の記載があるので安心だ。10分ほどバスに揺られ、どうやら次のバス停がその「ナムチャン」のようだが一緒に乗り合わせた現地の若者はまだ降りるなという。わたしがプサンに行く事を知っている彼らはその「ナムチャン」から2つほど先のバス停「ナムチャンハイスクール」で降りろとアドバイス。ここは素直に従いそこで下車する事にした。




正面の平屋小屋がヘウンデに戻るナムチャンの市外バス乗り場                                  やや左側に見える市内バス停のポールはチナ方面のナムチェンのバス停





詳しく(ナムチャン⇒ヘウンデ)
「ナムチャンハイスクール」のバス停で降りた後はプサン行きのバス停を訪ねる。川を渡るように言われ、言われるがままに橋を渡ると市外バスに乗って来るときに下車したあの郵便局。近くの酒屋でプサン行きのバス停を訪ねると、どうやらすぐ先の路地を曲がれと言っているようだ。お見事!これまた来るときに青年に丁寧に案内されたバス停であった。



ヘウンデへ向かう市外バスは日中約30分間隔で運行しているようだ