2014年12月17日水曜日

MANHATTAN


18才、自由はあるが金がなかった。
45歳、金はあるが自由がなかった。
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30年前、初めて聴くアメリカンポピュラーミュージックにはまり、後に貸レコード屋の常連になった中学三年生。 シカゴ、ホール&オーツ、TOTO、ビリージョエル、マイケルジャクソン、、、のちにブリティッシュロックの存在を教えてくれたザ・ポリース。 アメリカ、ニューヨークは圧倒的な存在感でショウビズ界の中心として今も世界をリードしている。

80年代はポップス全盛期。そんな時、日本ではアイドル全盛期。松田聖子、中森明菜、たのきんトリオ、シブガキ隊、、、まだ河田町にあったフジテレビの人気歌番組、夜のヒットスタジオでは人気歌手があの手この手と工夫を凝らし、視聴者を釘付けに熱唱しているなか、視聴率がピークに達する 22:30過ぎ、来日した洋楽歌手が、涼しげに口パクで日本のアイドル歌手を煙りにまいた。時代はまだアメリカに追いついていない。インターネットが世界を変えたグローバル時代の昨今、2010年代まではあと30年の歳月が必要であった。そんな時代背景、高校卒業後の東京育ち18才の夢の選択肢の一つにニューヨーク、アメリカがあった。 

クリストファー・クロス『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』


「ニューヨーク」といえば日本テレビの80年代を代表するスペシャル番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』の当時の日本人を象徴するフレーズ「ニューヨークに行きたいか!?」である。バブル経済の前、まだ日本人には海外旅行は高嶺の花であり、アメリカを横断しながらニューヨークまで行けるとは今の世界二周旅行に匹敵する。(昨今の世界の旅先で出会う日本の若者は世界一周を「一周」と言い、人気渡航先の一つである)まだニューヨークを「入浴」とかけた駄洒落がまかりとおっていた時代である。18才の都会っ子は大学進学を決断し、渡米の夢はそれから27年の歳月がかかった45歳、ようやくようやく手に入れたニューヨーク行きのフライトチケットであった。

 『アメリカ横断ウルトラクイズ』日本テレビ



つづく











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