2015年8月21日金曜日

桃岩荘の思い出

◉北海道礼文郡礼文町香深元地

旅立ちの朝、2泊3日の滞在を終えた小学5年生は宿をあとにする。父親に連れられて「見返り坂」と呼ばれる道をのぼり始めたころ、宿の「緊急指令」によってスタッフは勿論、どこからともなく宿泊者が玄関前の広場に集まってくる。波の音が聞えなければ港の反対側にあたるこの辺りは人家もないもの静かなところ。宿をあとにする若干10才の少年に向かって見送りの「歌」が合唱される。『またくるよ~う』と大声で叫び返すわが息子はじめは、将来必ずまた此処を訪れるだろう。


●「見返り坂」で発ったばかりの「桃岩荘」を振り返り叫ぶ息子はじめ


昭和42年開設。岩壁の下にある100年を超える木造宿舎は、いったん営業を止めてしまえば逆立ちしても営業許可は下りないだろう。事実昨年の8月の礼文島を襲った集中豪雨では、宿舎から目と鼻の先で土砂崩れがあったそうだ。宿の直撃は免れたものの、孤立した桃岩荘のホステラー(宿泊者)とヘルパー(スタッフ)たちは救助隊のヘリで救出された。

全国各地、いや世界から集まる老若男女。学生グループは勿論だが意外にも60歳前後の男性が目に付く。その男性たちはいずれも独りで、しかも長期滞在者だ。聞くところによると6月1日の営業開始から9月末までの桃岩荘の営業期間内にまるで此処が自宅であるかのように振舞い住み込む常連客も珍しくない。


桃岩荘の中心は宿泊者、ホステラーを飽きさせない工夫がいたる所にちりばめられている。その演出役がヘルパーであり、彼らは息をつく暇もなく、まるで役者がごとく常に多種多様な仕事に追われている。並の人間ではとてもこれらの仕事をこなす事ができないだろう。見るところそのヘルパーの中心は4人の若者男性で、多忙な一日の仕事を交代でこなしているようだ。


先ず港での「お出迎え」に始まり、トラック「ブルーサンダー号」の荷台にホステラーを詰め込み一路桃岩荘を目指す。先ずホステラーはこのときトラックの荷台に乗せられたことで日常から逃れた自分に高揚し、ヘルパーのパフォーマンスに一喜一憂する。「音声認識装置」が備わっている「ブルーサンダー号」はホステラーの発車合図の合唱が必須であり、さらにホステラーの鎧を脱がせることに一役買っている。遊園地顔負けのヘルパーによる周辺ガイドは杓子定規の世界に生かされている我々現代人にとって、世界で一つしかない、今ここでしか聞くことができない熱いヘルパーの個性溢れる声は聞く者を飽きさせない。


「ブルーサンダー号」が島を東西に二分している山の中腹にさしかかると、ヘルパーの声にも一段と力がはいる。目前に迫った何の変哲もない「桃岩トンネル」は、なんと「桃岩タイムトンネル」とよばれトンネルを通過するとそこは日本国内で唯一、時計が30分早まる時差がある桃岩時間のゾーンへ足を踏み入れることになる。さらに「桃岩タイムトンネル」では一つの儀式が執り行われる。現代の人間誰もが携えている知性・教養・羞恥心を投げ捨てて桃岩荘に至る事だ。人より30分早く行動し無垢になって人と向き合う。そんな桃岩荘のメッセージがひしひしと伝わってくる代名詞「桃岩トンネル」で我々も知性・教養・羞恥心を自身の体内から取り出し、大きく右手を使ってトンネル内で投げ捨てた。


●闇の向こうが桃岩荘のある礼文島西側で断崖絶壁で海に臨む。
 此処で桃岩荘に必要のない知性・教養・羞恥心を投げ捨てる。
 帰路では投げ捨てた物をしっかり拾って帰らないとあとが大変。


まるで辺りから隔離されたように岩壁のふもとにある桃岩荘は海をも望む抜群のロケーションだ。もはや滞在中の3日間は、世俗から離れたこの「桃岩荘」を脱出することはできない。まるで刑務所にでも入るかのように妙な緊張感を維持しながら我々は桃岩荘の玄関引戸をゆっくりと開ける。そこで待ち構えていたものは遊園地のアトラクション顔負けの余興が内玄関で待ち構えていた人々によって「お出迎え」として我々に向けて行なわれる。

予期せぬ玄関での「お出迎え」を受けた我々は興奮冷めやらぬままヘルパーに館内を案内される。囲炉裏のある広間を中心に屋根裏を利用した2階部分には就寝する2段ベッドが所狭しと並んでいる。回廊のようになっている2階部分からはどこからも広間を見下ろせるようになっている。その屋根裏を利用した2階部分にあるベッドは広間からどのベッドも見渡せ、広間を軸にベッドが放射状にあることから「回転ベッド」と名付けられている。

女性は離れの3階で就寝する。食堂はその2階。食堂の隣の厨房では見るところ男性ヘルパーより多くの女性ヘルパーが夕食の準備に追われている。洗面所は二層式の洗濯機が3台、その上部には電気乾燥機もそれぞれ装備させている。男子トイレの小便器には使用後に流れる自動水洗はもちろん無く、プッシュ式の水栓は取り除かれている。その代わりペットボトルに入った水が小便器の陶器の上に無造作に置かれている。もちろん使用後に自分自身で始末する。


●館内には意外にも自動販売機が1台ある。使用後の缶・ペットボトルは
 この宇宙生命体「ギャラン」によって綺麗に圧縮されてゴミ箱へ投棄


桃岩荘といえば知る人ぞ知る「ミーティング」とよばれるホステラーとヘルパーの集いの時間だ。夕食と風呂を済ませれば息つく暇もなく19時半から一時ほど広間で行なわれる。「ミーティング」は二部構成で第一部は正統な島案内。桃岩をはじめ猫岩、地蔵岩の話から元祖チャンチャン焼きの店と予習が十分でない我々にはとても有難い情報だ。そして第二部は振付の歌を合唱する。少なくとも20人は下らないホステラーはヘルパーを軸に扇状の形に並び、それは二重三重の孤を描くほどの群集だ。そして満を持してヘルパーのトークショーをからプログラムがスタートする。我々はその最前列で「ミーティング」を楽しむことにした。

●ミーティング第一部の島案内は礼文島での過ごし方に役立つ


最前列はいわば桃岩荘初体験者の優先席である。「ミーティング」が始まると同時に初体験者は挙手して最前列へ誘導される。みるとこホステラーの半分が今回初めて桃岩荘を訪れた者。半分は二度目の経験者から常連さんといった配分だ。常連さんである彼らは桃岩荘の一日を知り尽くしている。「お出迎え」「お見送り」は勿論、「歌」「振付」そして「食事のメニュー」まで熟知している。初体験者はもちろん「歌」やら「振付」を知る由も無い。特に踊りの「振付」は初体験者が試行錯誤しているなか、同じホステラーの立場でありながら長期滞在者はまるで第二のヘルパーとしての存在意義を初体験者に示している。


●夕食メニューは中華丼・たこカレー・かき揚丼の繰り返し(常連談)。
 食したあとの食器は自身で洗浄して返却するセルフが浸透している。
 自炊またはセイコーマート(コンビニ)の弁当を食す人も見られる。



「ミーティング」終了後、翌日の礼文島縦走ハイキングに参加する人向けに食堂で説明会が開催される。「8時間コース」と公式にうたわれているトレッキングコースは、事実上日本最北端の島(正式にいうと日本最北端の島は択捉島)の北の果てから南下して「桃岩荘」に帰ってくるルートで別名「愛とロマンの8時間コース」とよばれている礼文島滞在のメインディッシュだ。桃岩荘で用意してくれる明日の昼食「圧縮弁当」をこの場で注文。そうこうしているうちに22時の消灯時間が近づく。ハイキングに参加しないホステラー達はヘルパーを含め広間での会話が弾んでいる。それを横目に我々は歯を磨くともう消灯時間だ。


●途中、路線バスに乗って帰路に着く「4時間コース」も選択可



桃岩荘の朝は6時起床。もちろん桃岩時間の話。朝食をすませる前にその日の滞在の有無をホステラー全員が受付で朝7時までに行ない連泊する人はこの時に支払いを済ませる。時間までに意思表示を行なわないと館内放送で呼び出されるので注意が必要だ。朝食後は朝のフェリーで島を離れるホステラーへの「お見送り」が玄関前で行なわれる。そこでヘルパーとホステラーが一丸となって昨夜、皆で合唱した歌を唄い、彼らの姿が見えなくなるまでこの「お見送り」が続けられる。「見返り坂」を上りながら何度もこちらを見返すホステラーに向かって『またこいよ~う』と熱いメッセージ。涙ぐむ人も決して少なくない。


●玄関前の「お見送り」。中央上部に見えるのが礼文島名勝、桃岩だ。



滞在最終日、玄関前の「お見送り」を終えた夕方の船で離島する我々の最後の仕事は館内清掃である。簡単な広間の床の雑巾がけと食堂の床の掃き掃除。子どもの教育にはもってこいのプログラムだ。そして荷物のパッキングを済ませれば桃岩荘を旅立つ時。夕方の乗船までの半日は地蔵岩を拝んで、知床とよばれる桃岩以南地域のトレッキングで幕を閉じる。


●礼文島到着後に港から出航する行き違うホステラーに「お見送り」
 を行なうヘルパーたちの見事なパフォーマンスを見る息子はじめ

港での出航間際の「お見送り」は一般旅行者や船舶関係者の視線をものともしない「ミーティング」で合唱した振付の歌で、それはヘルパーだけでなく、どこからともなく長期滞在者が桟橋に現れそれを後押しする。港に響き渡る見送りの合唱は、既に乗船を済ませた離島寸前のホステラーの足を甲板に向かわせ、甲板の手摺越しにヘルパーたちの動き・叫びに酔いしれる。これで目頭が熱くならなければ嘘だ。


〔あとがき〕
礼文を離れる前に礼文町郷土資料館に立ち寄って一枚の写真を見て驚いた。
それは先ほどまで滞在していた桃岩荘の白黒写真だった。
まったく変わらない風景に一つだけ違うところが見られた。
桃岩荘目前の海岸に漁のボートが溢れ、その昔の繁栄を今に伝えている。
桃岩荘はその昔、一つの漁港の主要な建物として使われていたようだ。
「8時間コース」の帰り道、また地蔵岩訪問時、計二箇所でトンネル工事が進められていた。
その名も「新桃岩トンネル」。
開通後は現在の「桃岩トンネル」は道としては閉ざされるそうだ。
「8時間コース」の朝、岬まで我々を送り届けてくれたオーナーの後継者はいるのだろうか。
この「桃岩荘」を次世代に向かって、多くのヘルパー卒業生を中心に盛り上げてほしい。



●明け方の桃岩荘からの海岸線。中央に小さくあるのが猫岩。



0 件のコメント:

コメントを投稿