2015年12月13日日曜日

ふかし芋で昇級審査



◉ふかし芋
子どもたちがベランダの掃除を手伝ってくれたご褒美に「ふかし芋」に初チャレンジ。先日、取引先の方にいただいた家庭菜園育ちのサツマイモをトントンと切る。圧力鍋がないので知恵を拝借して鍋に茶碗を伏せて水を入れその茶碗の上に皿を置いて芋を並べて火にかけて竹串でツンツンところあいを見てさあできあがり。今日は夕方から元の初めての空手の昇級審査。芋パワーで力をつけて昇級審査に臨んでもらおう。バターがないのでマーガリンでいただきます。うん!これはうまい!!


3人で協力作業
おひとつどうぞ!













◉昇級審査(白帯の無級からオレンジ帯の10級へ)
幼年部の後に行なわれた元(小学5年生)の初めての昇級審査〔審査申込になんと1万円(新しい帯代金込)とはビックリした〕がいつもの道場で行なわれた。審査は級別に段階的に行なわれ、先ず白帯からオレンジ帯への昇級を受ける道場生が一般社会人を含めグループで同時に行なわれようとしている。













道場の中心に白帯の6人がサイの目に立ち並び、正面に陣取る先生と向かい合う。それを取り囲むように他の級の昇級審査を待つ多くの道場生と我々保護者がコの字型に座り込む。いつもより少し手狭な道場は12月の寒空の中、熱気に包まれ早くも窓ガラスが曇り始めた。先生と多くのギャラリーに取り囲まれ逃げ場の無い子どもたちの緊張は極度に達している。道場中央に立つ息子、元の右手は大きく波を打って震えている。曇った窓ガラスには結露した水滴が垂れ始めていた。













型の審査
審査は2部構成で先ず型の審査が行なわれる。呼ばれた白帯の道場生がノソノソと道場中央に集まってくる。みるとこ棒立ちの白帯たちはいきなり先生に「返事がない!」と活を入れてもらう。初めて昇級審査を受ける白帯たちは息を呑む。日頃のように身体が動くだろうか。精神力が試される審査でもある。


1,移動稽古
途中、先生のアドバイスを得ながら以下の移動稽古が行なわれる。時間にして5分間の張り詰めた時間がゆっくりと過ぎて行く。こうして子どもが成長していく姿を間近で見られるのは親として幸せである。

本日のメニュー(昇級審査は毎回この型とは限らない)
(1)〔下段(げだん)払いから〕正拳中段突き(せいけんちゅうだんつき) 2回
(2)前蹴上げ(まえけあげ) 2回
(3)内回し蹴り 1回
(4)外回し蹴り 1回

2,太極 I (たいきょく いち)
基本中の基本で初級者が最初に覚える型。下段払いと正拳中段追い突きの繰り返し。しかし、単純動作ゆえに初級者と上級者の違いが一目瞭然となる型だろう。中級車、上級者には相応の型があり初めて見る型に目が釘付けになる。


組手の審査
はじめての昇級審査の組み手の審査の動画
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茶帯(1級または2級)の中高生と見られる選手たちの昇級審査は凄みがあった。まったく初級者と動きが違う。このレベルになると中途半端な志の選手はのこっていない。1人と対戦が終わるとすぐに次の相手が出てくる。終わるとまた次、そのまた次、そして計5人の相手と連続して対戦する。こちらも座って見ているだけではいられなくなる。腰を伸ばして道場の壁掛け時計をふと見ると、スタートからすでに3時間が経過していた。




2015年11月29日日曜日

初試合

◉横浜チャレンジマッチ    〔場所:岩崎学園東戸塚校 体育館〕

兄弟そろって4月に空手をスタートしてお互い初めての試合。
初級が中心の交流試合は兄はじめが通った保育園の体育館で行なわれた。


試合前々日の金曜日
空手練習日は幼児いずみの送り迎え。
夕飯は鯖の塩焼きと玉子丼にきんぴらごぼう。
その後は映画「燃えよドラゴン」で試合に向けてやる気モードに。



試合前日の土曜日
午前中は息子たちとマンション敷地内の清掃ボランティア。
午後はYMCAの体操(はじめ)とスイミング(いずみ)の付き添い。
帰り道に空手道場へ。16時から幼年部のいずみ。17時半から少年部のはじめ。
延べ2時間半、道場内で見学。
夕飯はBBQでパワーをプレゼント。
その後は息子たちのアンコールで映画「燃えよドラゴン」を再放映。
ヌンチャクシーンをピックアップして息子たちのやる気もピークに。


試合当日の日曜日
午前中は隣の上品濃公園で軽くジョギング。
早めの昼食は力がつく米がほしい。
昨晩の残りBBQの野菜を中心とした特製チャーハンで親の務めを全うした。


初試合を前に緊張するも笑顔を見せる兄はじめ


動画
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初試合を前に「絶対勝ってやる」と意気込む泉

動画
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2015年11月23日月曜日

ちびっ子健康マラソン大会

◉神奈川県平塚市   天候:曇り   気温13℃


●朝7時半に現地で受付を済ませスタンドで開会を待つ



国旗掲揚と国歌斉唱。

平塚競技場の開会式で国歌斉唱のアナウンスがあった。
振り返ると君が代を人気ソングのように楽しく大きな声で歌う子どもたちがいた。
我々が子どもの頃は君が代を楽しく歌うことなどありえなかった。

私が小学生時代を過ごしたのは昭和50年代。今回、長男はじめ(小5)が参加したこのような誰もがスポーツを楽しめる大会は皆無であり、人生を楽むことができる各種イベントが開催されるようになったのは、少なくともわたしが大学生になった平成の世になってからだ。

平成の天皇陛下も今ではすっかりご高齢となり、平成の文字が使われるのも時間の問題だ。平成10年に法律によって正式に「国歌」となった「君が代」はさまざまな場面で以前にも増して多用または強制されるようになってきた。

サッカーのワールドカップが良い例で全ての試合が国際試合なので予選でも必ず試合前にそれぞれのチームが交代で国歌斉唱を行なう。選手、競技場内の観客そしてメディアを通して祖国で応援する国民が一体となる貴重な瞬間だ。時に政治家までコメントを発表する熱の入れようで、平和な時代ゆえに言えることだがサッカーのワールドカップは第三次世界大戦さながらである。


●1999年に法律によって正式に日本の国歌となった「君が代」



SB食品と神奈川県を中心に店舗を持つスーパーマーケットのフジ、コンビニのスリーエフが主催する今回の「ちびっこ健康マラソン大会」は年一度の開催で今年は数えること第29回大会。開催地は全国規模で行われ日程をずらしながら行われている。


神奈川県大会の参加競技者は県内の小学1年生から6年生まで総勢3,000人を超える。参加人数ではなんと全国一の規模だ。陸上愛好家のもとに生まれ育っている言わば全国トップレベルのタイム、順位を意識付けられた子どもたちがレースを牽引し、完走を目標とした健康な身体づくり、精神力を鍛えることに重点をおく集団が後に続くレース展開が予想される。


競技場内のアナウンスが国旗掲揚と国歌斉唱を行うことを告げると、わたしは内心、そこまでやらなくてもいいだろうと少し大げさにも感じたが、すぐにこれが日本人としての自尊心を高めるひとつの方法であることに気がついた。わたしの体内にある時代時計が勢いよく、くるくる時計回りに回り始め、時代遅れな46歳は今現在の2015年11月の時間に追いつき、近未来の時代感覚を創り出す。うむむ。。。これは大賛成だ。


場所は冷たい風が冬の到来を告げる11月下旬の湘南ベルマーレが本拠地としている平塚総合公園内の平塚競技場。おそらくJリーグの試合前にもこのようなセレモニーが行われているのか知らないが、時代はゆっくりと移っていることを痛感した瞬間だ。


●国旗が掲げられた Shonan BMW スタジアム で聖火も点灯



競技は小学1年生から6年生まで順番に学年別に行われる。先ず男子がスタートして数分後に女子がスタートする仕組みだ。競技場内のトラックを1周して競技場を出て公園内の舗装路を走り競技場に戻り再びトラックを1周走りきりゴールを迎える。小1・2年は1,500m。小3・4年は2,000m。小5・6年は3,000mを走る。2,000m以上のコースにはなんと驚くことに給水ポイントまであるフルマラソン顔負けの大会だ。これも時代か。。。


子どもたちの中には同じサッカーチームに所属していると見られるグループの参加者が目に付く。そのグループの父兄は一団をなし観覧席に陣取り大きな声援を送る。同色のカラフルなユニホームをまとった子どもたちはかなり目立つが、この大会のルールのひとつにSB食品のマーク付の支給されたゼッケンを指定のホワイトカラーのTシャツの上に着用しなければならないため、同じような背丈の子どもたちの大集団から「どの子が我が子か」遠く離れた観覧席から見きわめるのは至難の業である。これでは何処にビデオカメラを向ければよいかまったく見当がつかない。


そこで感心した事にグループで参加した競技者(子ども)たちは皆、指定のホワイトカラーのTシャツの半袖の下からカラフルな原色の長袖が顔を出す。さらに足元のハイソックスも艶やかで、これで遠く離れた観覧席からでも子どもたちの見分けがつく。これはいいアイデアだ。そのチームを応援する父兄観覧者一団は競技場に戻ってくる同色の長袖、ハイソックスを見つける度に一斉に大きな歓声をあげる。その歓声に奮い立たされたように、これから走る我が子の応援にも徐々に熱が入ってきた。



●SB食品といえば瀬古利彦。後方は旭化成の双子ランナー宗兄弟のどっちだ。。



場内を仕切るアナウンスは声の通るウグイス嬢とSB食品陸上部の半袖短パンの青年の歯切れのよい競技説明が心地よい。SB食品といえば「ゴールデンカレー」と「瀬古利彦」である。子ども時分、宗兄弟との見事なレースはしっかりと記憶に残っている。スタンド内ではフジ・スパーとスリーエフの社員と思われる人によるバナナ等の移動販売をはじめコンコースでの暖かい飲み物や軽食、ひざ掛けまで販売されている充実振りに弁当、水筒持参の者はすっかり驚かされた。


●競技場内に入るゲート集合場所はすでに競技者で溢れていた

「小学校の運動会と規模が違う。周りは見知らぬ相手。緊張するそうだ。」


学5年生男子の部の参加競技者はアナウンスによると300人超えている。スタート時の転倒事故だけは気をつけるように告げて競技場内に息子はじめを送り出す。正直、わたしも少しドキドキしてきた。冬の到来を告げる肌寒い勤労感謝の日。午後からの雨天予報も気になる父親三昧の一日だ。


昨年、湘南国際マラソンのファミリーラン親子の部(子どもは小学4年生までが参加条件)の申込日時にインターネット申し込みを試みたが、混雑でネットがまったくつながらず参加できなかった悔しい思いを乗り越えて参加した今回の3,000m走。勿論、私は走ることができなかったが、是非近い将来に10kマラソンレベルの走りに参加したくなるほどの今回の子どもたちのパフォーマンスに感謝の一日だ。



●来年も絶対参加するとやる気十分の息子はじめの記録



朝4時半に起床。朝食と昼食の弁当をつくり5時半に子どもたちを起こして6時半に出発。7時半に平塚に到着して駐車場探しに奮闘。駐車場は専用臨時駐車場が受付開始時の7時半には既にどこも満車。一目散に公園内の駐車場に車を止める。あと15分遅かったら公園内の駐車場に駐車するのも困難であっただろう。


開会の9時までに少し時間をもてあそぶも、競技が始まればあっという間に5年生の時間がやってきた。スタンドの観覧席最前列に陣取るも、トラックを走る集団の中から自分の子どもが見分けられない。是非来年は目に付きやすい工夫が必要だ。来年に小学1年生になる次男いずみと小学6年生になる長男はじめのW参加が楽しみだ。




●おみやげにSB食品のゴールデンカレー中辛をいただいた 



●競技後のスタンド内で兄がつくったトンネルを走り抜ける末娘まこと





2015年11月8日日曜日

はまぎんこども宇宙科学館

◉横浜市磯子区

雨の日曜日。横浜洋光台にある宇宙科学館に行ってみる。午前11時過ぎ、専用の駐車場は満車で数台が入口付近に並んでいるところにわたしたちの車が後につく。順番に係員からチラシを渡され次々にその場を立ち去るワンボックスのファミリーカー。そのチラシには近隣の民間コインパーキングの場所が記されている。

子どもと過ごす休日も時間との闘いだ。係員の案内に号令がかかったように子連れのキャプテンである父親は一目散にコインパーキングへと車を走らせる。駐車場が満車で空くのを待っているのんびり屋さんは今の時代には極めて少数派だ。腕時計を見ると今の時間は午前11時過ぎ。宇宙科学館開場の午前9時半からまだ1時間半しか経過していない。この時間に駐車場に戻ってくる家族はいないと考えるのが妥当だろう。

しかし、わたしは駐車場が空くのを待つことに決めた。小学5年生の元からは大クレーム。それに続き泉、真琴からも非難が容赦なくキャプテンのわたしに向けられる。わたしはそんなことはお構いなしに車の窓を開けて駐車場に止まっている車の台数を数える。駐車台数は約50台。50分の0はあり得ない。少なくとも30分も待てば1組の家族が必ずここに戻ってくる。ここを訪れている人たちのほとんどが若者夫婦とその子連れ。最も時間に追われている現代人だ。

10分ほど経過すると係員が窓越しにやってきて何かわたしに告げに来た。その背後に駐車場に止めてあるワンボックスカーに乗り込む父親と思われる男性の姿。係員の言葉を聞く前に、車中は潮目が変わったように子どもたちからは歓喜の声がかかる。

よく子どもたちは我慢ができないという。特に現代の都市で育つ子どもは待つことができない。我慢しないでも他に選択肢が用意されている便利な現代社会。子どもに我慢させない親にその責任がある。子どもたちの前で我慢しない親を見て成長していく子どもたちは我慢を知らない。知らない、やったことがないことはできない。当たり前の話である。



●6才児の食いしん坊には全く量が足らない“はまぎんのお子様カレー”



●兄貴のカレーと量の違いでヘソを曲げる弟いずみ 今日は“我慢”の日だ








2015年9月22日火曜日

幼児の白馬三山縦走

◉白馬大池〜小蓮華山〜白馬岳〜杓子岳〜白馬鑓ヶ岳〜鑓温泉 〔12時間〕

6才の幼児が2足で歩行できないほど急勾配な山頂へのアリ地獄。はいつくばって必死に登っては滑り落ちる息子いずみ。それを見るに見かねた兄貴はじめに背中を押されて半べそをかきながらの登頂への戦いはこの場で1時間ほど費やしたろうか。


●杓子岳山頂を望む泉君の背後に緑と雪渓、遠方には毛勝三山


「白馬鑓ヶ岳」だと思い込んで登頂した山頂を示すポールには見た事も聞いた事もない文字「杓子岳(しゃくしだけ)」と刻まれていた。山岳初心者(白馬三山は山小屋で登山者から教えてもらった)。まさか道を間違えたか。時はすでに山時間では夕刻の14時を過ぎていた。「白馬鑓ヶ岳」から宿としている山小屋「鑓温泉小屋」まで2時間半。幼児連れなので3時間を見込むと14時+3時間=17時の日暮れ前には山小屋に到着する予定だった。


本日の行程は「大池山荘」を発ち「小蓮華山(これんげさん)」「三国境」。昼食は「白馬山荘」にて。そして「白馬鑓ヶ岳」を経て宿としている山小屋「鑓温泉小屋」まで。標準行程8時間に昼食と余裕を見込んで10時間。遅くても朝7時に出発して日暮れ前の17時に宿に到着予定。天候に左右される事は周知の上で、最悪は「白馬山荘」に難を逃れるつもりだ。


「杓子岳」山頂で持参の山岳地図に目を配る。すると「杓子岳」だけが蛍光ペンでマークされていなかった。毎年のことだが建築士の設計製図試験の講師として問題文の重要ポイントには生徒に向かって口酸っぱく『マークしろよ!』『マーク忘れが命取り』と、つい10日ほど前まで口にしていた事がここにきて自分に降りかかってくるとは思いもよらなかった。


『建築士の試験は精神力も必要』『あせりは禁物』そんな講師として生徒に向ける言葉を今日は自分自身に言い聞かせる。「杓子岳」から稜線(りょうせん:連なる山の山頂から次の山頂に至る道)を歩き出した時、まだ幼児である息子いずみを今回連れ出した自分を少し疑い始める。疑心暗鬼で向かう稜線では初めて足がすくんだ。もう後戻りはできない。



●杓子岳山頂からの稜線を挟んで右は巻道へ落ちるザレの急斜面、
 左は間違いなく死に至る絶壁、後方には白馬鑓ヶ岳がそびえる
 霧が出てきたら間違いなく巻道へのがれるしかない危険な場所




⚫︎杓子岳を下るとすぐに壮大な白馬鑓ヶ岳が目前に控える
 今まで全く問題なかった元君は杓子岳山頂すぐの断崖絶壁
 後だけに、この稜線ルートを見ると少しだけおじけづきはじめた


共倒れは予期せぬ出来事だ。予定外の杓子岳での1時間ほどのタイムロスに加えて、疲労感が恐怖感に変わった小学5年生はじめ(10才)は白馬鑓ヶ岳の壮大な稜線ルートを目前に悲鳴をあげた。年長いずみ(6才)のもしものときはバックパックをはじめに背負わせ、体重20kほどのいずみを背負って山道を進む覚悟はできていたが、はじめまで倒れるともうお手上げだ。白馬鑓ヶ岳を前にアセリが抑えられないと同時に子どもたちが無事に宿「鑓温泉小屋」まで辿り着けるか本当に不安になってきた。


●白馬鑓ヶ岳の岩登り後のダミー頂上は道巾も狭く足がすくむ
 雨天時は視界も悪く本当に危険が伴なう場所の一つだろう
 もはや後戻りができない道を一歩ずつ確実に前に進むしかない


白馬鑓ヶ岳山頂では登山者は我々だけ。3人そろっての記念撮影はできない。自動タイマーを利用した撮影を行なう心理的な余裕は全くなかった。時間は既に15時を大きくまわっていて大半の登山者は今晩過ごす山小屋やテント場に到着しているころだ。子連れの父親ならなおさら到着、いや到着していなくても到着の目処はつけていなければならない時間帯だ。

行き交う登山者は殆ど見当たらない。唯一同じ方向に向かっている登山者は我々前方に1組。急ぎ白馬鑓ヶ岳の急勾配のザレ(砂利道)を下山して行く。登頂時にルートを間違えないように遠目で後を追っていたヘルメットを装着した年配の2人組は我々をどんどん突き放して進んで行く。さらに追い討ちをかけるようにこの時間帯では珍しい反対方向から来た単独の年配登山者は、わたしが「鑓温泉小屋」まで『今日』行くことを告げるとかなり驚いた様子で『あの下りを?』と子どもたちに目を向ける。そこは数々の修羅場を経験した長澤。『そう』とあっさり笑顔で答えてその場を後にする。

正直、心中は穏やかではなくなってきた。白馬鑓ヶ岳下山中、前方の視界が広がると遥か向こうに立ち止まって我々の先を行く年配登山者2人組に何やら声を掛けている監視人らしき山男が年配登山者に何処まで行くのか尋ねている。はっきりとは聞き取れないがどうやら我々と同じ「鑓温泉小屋」に向かっているらしい。これは心強い反面、年配登山者2人組が我々には目も向けず小走りに突き進んでいく彼らの行動を見ていると、彼らが必死に日暮れ前に目的地に辿り着こうとしている事が容易に手に取るように分かった。

その後、何処からともなく現れた単独の女性登山者がその監視人らしき山男と話をしている。どうやら力尽きて歩けないようでヘルプを求めているように見える。なんということだ。しかし山男はあっさりと何か指示をしてすぐさまその場を後にして、我々のほうに向かってザレ場を登ってきた。間違いなく声を掛けられるかと思ったがその気配がないのですれ違いざまこちらから声を掛ける。『鑓温泉小屋までどのくらいかかるか?』山男は子どもたちに目を向け『3時間は軽くかかる』とわたしに告げるとすぐに『ヘッドライトはあるか?』『鑓温泉小屋までの下りの岩場は危険で鎖がある。子どもたちにはくれぐれも気をつけるように』とだけ告げて鑓ヶ岳山頂に向かって去っていった。山岳初心者であるわたしは「鑓温泉小屋」に向かう下山ルートが危険だと知ったのはその時であった。

視界にはいつの間にか登山者がまったくいなくなった。遠く鑓ヶ岳山頂では先ほどの山男が360度見渡して登山者がいないか監視をしているようだ。先ほどの単独女性登山者は鑓温泉分岐点を少し通り過ぎて天狗山荘側にいったところで携帯電話で何やら話をしている。『お願いします』とだけはっきりと聞える。どうやらヘルプを頼み込んでいる様子である。彼女は我々が近くにいることは気が付いているとは思うが、近くの登山者より遠くの救助隊を頼りにしているようで、こちらから声をかけるのは躊躇した。分岐点には『天狗山荘まで30分』とあり、天狗山荘とそのテント場はこの分岐点からテントの数がはっきりと数えられるほど見て取れる距離にある。もはや30分も歩けないのだろうか。

後ろ髪を引かれるようにその分岐点から「鑓温泉小屋」への下山ルートに足を向ける。女性登山者はまだ携帯電話を放さない。先を行く年配登山者はまったく見えなくなってしまった。わたしはヘッドライトを取り出し帽子の上から装備して日暮れに備える。「鑓温泉小屋」から「天狗山荘」への宿の変更は頭に無かった。子どもたちも急がないと日が暮れてしまうことは分かっている。コンパクトカメラの充電が切れた。「鑓温泉小屋」まで辿り着くことだけに集中しよう。日暮れに加えヘッドライトが機能しない霧でも現れたら全く動きがとれなくなる。


●すぐそこに山荘があることを告げるサインは鑓温泉分岐点にある 


白馬岳(2,932m)・杓子岳(2,812m)・白馬鑓ヶ岳(2,903m)は白馬連峰のなかでも白馬三山と呼ばれる長野県と富山県にまたがる北アルプスの最も代表的な山である。この三山の稜線を歩くことは白馬三山縦走としてガイドブックには欠かせないメインルートで1日あれば十分に縦走可能である。

帰宅後に情報収集して分かった事だが白馬三山縦走の拠点となる山小屋は白馬山荘である。我々はその白馬山荘を昼食をいただくだけの通過点としていた。登山1日のルートとしては長すぎたのか。やはり幼児には困難な山、北アルプスなのか。いやそんなことはない。一日目の栂池山荘から天狗原そして大池山荘までのルートは標準時間どおりに進むことができていた。今日、朝6時半に大池山荘を発ち小蓮華山、三国境を経て白馬岳登頂までのルートはほぼ標準時間どおりに進んでいた。


●何度もダミーの頂上を越えてようやくたどり着いた白馬岳山頂


登山中、わたしは歩行ペースが遅いとはまったく感じなかった。にもかかわらずなぜ遅れをとったのだろうか。子どもたちが遅かったわけではない。帰宅後に自宅で持参していた山岳地図をよく見て驚いた。標準時間の計算は杓子岳の巻道(トラバース道と言うそうだ)が計算基準となっていて杓子岳登頂に費やしたあの6才児が2足歩行不可能だった急勾配のザレ場は含まれていなかったのである。つまりわたしのルート標準時間計算、つまり地図の読み方が間違っていたのだ。

タイムロスに気がついた杓子岳山頂からペース維持の為、はじめてわたしが先頭を歩き子どもたちを牽引。15時45分に鑓温泉分岐点を通過する。「鑓温泉小屋」まで山男によると3時間。到着は日暮れ後の18時45分。19時をまわるかもしれない。同じく山男が警告していた岩場しだいか。幸い天候には恵まれていて視界は全く問題がない。危険な岩場に日暮れ前に着くかが勝負だ。

46才、6才、10才の順で急斜面のザレを急ぎ下る。意識的に子どもたちから先頭のわたしが見えるか見えないほどの間隔をキープして、子どもたちを牽引する。休憩タイムの有無がこの先の明暗を分ける瀬戸際であり、気が気ではない。牽引方法は下りては立ち止まり、下りては立ち止まり、そして子どもたちの姿が見えるのを待つ。大人と幼児のスピードは歴然としている。帽子のツバ越しに見え隠れする子どもたちの瞳に疲労と不安を感じ取る事ができる。

そんな賢明な子どもたちの姿を見ているうちに、まるで熱が冷めたように先ほどまでのアセリがまったくなくなっている自分に気がついた。むしろ子どもたちの姿を微笑ましく思い、いま子どもたちと一つの同じ目標をもって山を下りている自分がとても幸せである事に気がついた。子どもたちが成長している姿をLIVEでしかも最前列から独り占めしているのである。ふと気がつくと、ほのかに硫黄臭が鼻を突く。鑓温泉は確実に近づいている。

1時間ほど山を下ると鎖が打ってある岩場に辿り着く。幸い17時前で少しうっすら暗くなり始めているが視界は良好だ。確かに鎖なしでは歩行は不可能で、誤って鎖から手を離したり、足元を滑らせた瞬間に鎖をつかんでいなかったりすると間違いなく墜落する。大きな怪我は免れない危険な場所だ。

一歩一歩、身体を岩の背にしがみつくように鎖をつかみ、蟹歩き。一歩一歩、足を掛ける場所を指示しながら、『鎖を離しちゃだめだ』『両手で鎖を持て』と、すぐ後を付いてくる幼児いずみから目が離せない。いつ足を滑らせて転落するかもしれない。その瞬間に自分の左手でいずみの腕を掴み取るイメージをトレーニングする。さらにその後ろからくる兄貴、はじめにも注意が必要だ。

渓谷を下り続け、あたりが暗くなり始めた18時ごろ、道行く先に見える川に大きな雪渓が目に入る。その雪渓を目前に道は川沿いに左に折れている。ふと川下に目をやると黄色い建物の屋根が見えた。「鑓温泉小屋」だ。子どもたちからは歓喜の声。IPADにはまだ電池が残っている。ゆっくり腰をおろしてバックパックからIPADを取り出し、その光景にシャッターを切る。


●安堵感が一気に広がったこの光景はしっかり脳裏に焼きついている


「鑓温泉小屋」では友人たちと落ち合う予定で、小屋付近まで下りていくと友人の一人が小屋からこちらに向かって歩いてくる。我々の到着を待ちわびていてくれたようだ。宿の方、一部の登山者にも友人は我々の到着が遅れている事を告げていて、我々を心配して登山道を登るつもりでいてくれたようだ。

夕飯は茶碗飯4杯をペロリ。そして待望の山小屋にある温泉「白馬鑓温泉」を堪能する。その友人がいつの間にシャッターを切ったのか。3人そろって温泉につかる写真をアップしておく。

●念願の「鑓温泉」は良質な泉質で夜でもふんだんな湯の花が目に付く




 ●全長12km 高低差1,000m 積算標高差 上り1,300m 下り1,700m

2015年8月29日土曜日

ホームラン弁当

取引先の方に巨人対中日の東京ドームのバックネット裏の席のペアチケットをいただいた。シーズン席を購入してお客さんに営業ツールとして利用しているようだ。以前にもいただいたことがあり長男坊を連れ出したことがある。(ドームでいただいたオレンジ色のタオルによると前回行ったのは2011年シーズン)長男坊は3回ぐらいプロ野球観戦に連れ出しただろうか。東京ドームに横浜スタジアム。夏の高校野球の全国大会の神奈川予選、甲子園球場、、、延べ5回は野球観戦に連れ出している。

保育園時代から公園でのキャッチボールをはじめ、定番の野球盤ゲームもプレゼントで購入して今でも兄弟で楽しんではいる。しかし野球をやりたいとは自分から言い出したことはない。試合観戦もあまり興味がないようでこれは野球に限った事ではなく、以前ユースサッカーの世界大会が駒沢競技場で行われた時に連れ出した時も全く興味を示さなかった。本人曰く、観戦より実際にプレイすることの方が楽しいそうだ。野球よりサッカーが今の時代。週一回のサッカー教室を始めて3年位は経つだろうか。

さて今月6才になったばかりの次男坊にとって初めての野球観戦の機会がやってきた。行く前に長男坊に東京ドームで野球を見たことを覚えているか尋ねたところ、買って食べたお弁当が「ホームラン弁当」だったことをよく覚えているそうだ。勿論わたしは全くそのことを覚えていない。そんなこともあって今回、次男坊のために購入したお弁当は同じ「ホームラン弁当」。帰宅後に次男坊に何を覚えているか聞いてみる。答えは「ホームラン」「アウト」そして「ホームラン弁当」だそうだ。


⚫︎カメラを向けると見事なパフォーマンスを演じる次男坊いずみ君


●全く関係ないがビールの売り子が妙にまぶしく感じる年齢になってしまった



●中身にひと工夫ほしかったホームラン弁当のパッケージ






2015年8月21日金曜日

桃岩荘の思い出

◉北海道礼文郡礼文町香深元地

旅立ちの朝、2泊3日の滞在を終えた小学5年生は宿をあとにする。父親に連れられて「見返り坂」と呼ばれる道をのぼり始めたころ、宿の「緊急指令」によってスタッフは勿論、どこからともなく宿泊者が玄関前の広場に集まってくる。波の音が聞えなければ港の反対側にあたるこの辺りは人家もないもの静かなところ。宿をあとにする若干10才の少年に向かって見送りの「歌」が合唱される。『またくるよ~う』と大声で叫び返すわが息子はじめは、将来必ずまた此処を訪れるだろう。


●「見返り坂」で発ったばかりの「桃岩荘」を振り返り叫ぶ息子はじめ


昭和42年開設。岩壁の下にある100年を超える木造宿舎は、いったん営業を止めてしまえば逆立ちしても営業許可は下りないだろう。事実昨年の8月の礼文島を襲った集中豪雨では、宿舎から目と鼻の先で土砂崩れがあったそうだ。宿の直撃は免れたものの、孤立した桃岩荘のホステラー(宿泊者)とヘルパー(スタッフ)たちは救助隊のヘリで救出された。

全国各地、いや世界から集まる老若男女。学生グループは勿論だが意外にも60歳前後の男性が目に付く。その男性たちはいずれも独りで、しかも長期滞在者だ。聞くところによると6月1日の営業開始から9月末までの桃岩荘の営業期間内にまるで此処が自宅であるかのように振舞い住み込む常連客も珍しくない。


桃岩荘の中心は宿泊者、ホステラーを飽きさせない工夫がいたる所にちりばめられている。その演出役がヘルパーであり、彼らは息をつく暇もなく、まるで役者がごとく常に多種多様な仕事に追われている。並の人間ではとてもこれらの仕事をこなす事ができないだろう。見るところそのヘルパーの中心は4人の若者男性で、多忙な一日の仕事を交代でこなしているようだ。


先ず港での「お出迎え」に始まり、トラック「ブルーサンダー号」の荷台にホステラーを詰め込み一路桃岩荘を目指す。先ずホステラーはこのときトラックの荷台に乗せられたことで日常から逃れた自分に高揚し、ヘルパーのパフォーマンスに一喜一憂する。「音声認識装置」が備わっている「ブルーサンダー号」はホステラーの発車合図の合唱が必須であり、さらにホステラーの鎧を脱がせることに一役買っている。遊園地顔負けのヘルパーによる周辺ガイドは杓子定規の世界に生かされている我々現代人にとって、世界で一つしかない、今ここでしか聞くことができない熱いヘルパーの個性溢れる声は聞く者を飽きさせない。


「ブルーサンダー号」が島を東西に二分している山の中腹にさしかかると、ヘルパーの声にも一段と力がはいる。目前に迫った何の変哲もない「桃岩トンネル」は、なんと「桃岩タイムトンネル」とよばれトンネルを通過するとそこは日本国内で唯一、時計が30分早まる時差がある桃岩時間のゾーンへ足を踏み入れることになる。さらに「桃岩タイムトンネル」では一つの儀式が執り行われる。現代の人間誰もが携えている知性・教養・羞恥心を投げ捨てて桃岩荘に至る事だ。人より30分早く行動し無垢になって人と向き合う。そんな桃岩荘のメッセージがひしひしと伝わってくる代名詞「桃岩トンネル」で我々も知性・教養・羞恥心を自身の体内から取り出し、大きく右手を使ってトンネル内で投げ捨てた。


●闇の向こうが桃岩荘のある礼文島西側で断崖絶壁で海に臨む。
 此処で桃岩荘に必要のない知性・教養・羞恥心を投げ捨てる。
 帰路では投げ捨てた物をしっかり拾って帰らないとあとが大変。


まるで辺りから隔離されたように岩壁のふもとにある桃岩荘は海をも望む抜群のロケーションだ。もはや滞在中の3日間は、世俗から離れたこの「桃岩荘」を脱出することはできない。まるで刑務所にでも入るかのように妙な緊張感を維持しながら我々は桃岩荘の玄関引戸をゆっくりと開ける。そこで待ち構えていたものは遊園地のアトラクション顔負けの余興が内玄関で待ち構えていた人々によって「お出迎え」として我々に向けて行なわれる。

予期せぬ玄関での「お出迎え」を受けた我々は興奮冷めやらぬままヘルパーに館内を案内される。囲炉裏のある広間を中心に屋根裏を利用した2階部分には就寝する2段ベッドが所狭しと並んでいる。回廊のようになっている2階部分からはどこからも広間を見下ろせるようになっている。その屋根裏を利用した2階部分にあるベッドは広間からどのベッドも見渡せ、広間を軸にベッドが放射状にあることから「回転ベッド」と名付けられている。

女性は離れの3階で就寝する。食堂はその2階。食堂の隣の厨房では見るところ男性ヘルパーより多くの女性ヘルパーが夕食の準備に追われている。洗面所は二層式の洗濯機が3台、その上部には電気乾燥機もそれぞれ装備させている。男子トイレの小便器には使用後に流れる自動水洗はもちろん無く、プッシュ式の水栓は取り除かれている。その代わりペットボトルに入った水が小便器の陶器の上に無造作に置かれている。もちろん使用後に自分自身で始末する。


●館内には意外にも自動販売機が1台ある。使用後の缶・ペットボトルは
 この宇宙生命体「ギャラン」によって綺麗に圧縮されてゴミ箱へ投棄


桃岩荘といえば知る人ぞ知る「ミーティング」とよばれるホステラーとヘルパーの集いの時間だ。夕食と風呂を済ませれば息つく暇もなく19時半から一時ほど広間で行なわれる。「ミーティング」は二部構成で第一部は正統な島案内。桃岩をはじめ猫岩、地蔵岩の話から元祖チャンチャン焼きの店と予習が十分でない我々にはとても有難い情報だ。そして第二部は振付の歌を合唱する。少なくとも20人は下らないホステラーはヘルパーを軸に扇状の形に並び、それは二重三重の孤を描くほどの群集だ。そして満を持してヘルパーのトークショーをからプログラムがスタートする。我々はその最前列で「ミーティング」を楽しむことにした。

●ミーティング第一部の島案内は礼文島での過ごし方に役立つ


最前列はいわば桃岩荘初体験者の優先席である。「ミーティング」が始まると同時に初体験者は挙手して最前列へ誘導される。みるとこホステラーの半分が今回初めて桃岩荘を訪れた者。半分は二度目の経験者から常連さんといった配分だ。常連さんである彼らは桃岩荘の一日を知り尽くしている。「お出迎え」「お見送り」は勿論、「歌」「振付」そして「食事のメニュー」まで熟知している。初体験者はもちろん「歌」やら「振付」を知る由も無い。特に踊りの「振付」は初体験者が試行錯誤しているなか、同じホステラーの立場でありながら長期滞在者はまるで第二のヘルパーとしての存在意義を初体験者に示している。


●夕食メニューは中華丼・たこカレー・かき揚丼の繰り返し(常連談)。
 食したあとの食器は自身で洗浄して返却するセルフが浸透している。
 自炊またはセイコーマート(コンビニ)の弁当を食す人も見られる。



「ミーティング」終了後、翌日の礼文島縦走ハイキングに参加する人向けに食堂で説明会が開催される。「8時間コース」と公式にうたわれているトレッキングコースは、事実上日本最北端の島(正式にいうと日本最北端の島は択捉島)の北の果てから南下して「桃岩荘」に帰ってくるルートで別名「愛とロマンの8時間コース」とよばれている礼文島滞在のメインディッシュだ。桃岩荘で用意してくれる明日の昼食「圧縮弁当」をこの場で注文。そうこうしているうちに22時の消灯時間が近づく。ハイキングに参加しないホステラー達はヘルパーを含め広間での会話が弾んでいる。それを横目に我々は歯を磨くともう消灯時間だ。


●途中、路線バスに乗って帰路に着く「4時間コース」も選択可



桃岩荘の朝は6時起床。もちろん桃岩時間の話。朝食をすませる前にその日の滞在の有無をホステラー全員が受付で朝7時までに行ない連泊する人はこの時に支払いを済ませる。時間までに意思表示を行なわないと館内放送で呼び出されるので注意が必要だ。朝食後は朝のフェリーで島を離れるホステラーへの「お見送り」が玄関前で行なわれる。そこでヘルパーとホステラーが一丸となって昨夜、皆で合唱した歌を唄い、彼らの姿が見えなくなるまでこの「お見送り」が続けられる。「見返り坂」を上りながら何度もこちらを見返すホステラーに向かって『またこいよ~う』と熱いメッセージ。涙ぐむ人も決して少なくない。


●玄関前の「お見送り」。中央上部に見えるのが礼文島名勝、桃岩だ。



滞在最終日、玄関前の「お見送り」を終えた夕方の船で離島する我々の最後の仕事は館内清掃である。簡単な広間の床の雑巾がけと食堂の床の掃き掃除。子どもの教育にはもってこいのプログラムだ。そして荷物のパッキングを済ませれば桃岩荘を旅立つ時。夕方の乗船までの半日は地蔵岩を拝んで、知床とよばれる桃岩以南地域のトレッキングで幕を閉じる。


●礼文島到着後に港から出航する行き違うホステラーに「お見送り」
 を行なうヘルパーたちの見事なパフォーマンスを見る息子はじめ

港での出航間際の「お見送り」は一般旅行者や船舶関係者の視線をものともしない「ミーティング」で合唱した振付の歌で、それはヘルパーだけでなく、どこからともなく長期滞在者が桟橋に現れそれを後押しする。港に響き渡る見送りの合唱は、既に乗船を済ませた離島寸前のホステラーの足を甲板に向かわせ、甲板の手摺越しにヘルパーたちの動き・叫びに酔いしれる。これで目頭が熱くならなければ嘘だ。


〔あとがき〕
礼文を離れる前に礼文町郷土資料館に立ち寄って一枚の写真を見て驚いた。
それは先ほどまで滞在していた桃岩荘の白黒写真だった。
まったく変わらない風景に一つだけ違うところが見られた。
桃岩荘目前の海岸に漁のボートが溢れ、その昔の繁栄を今に伝えている。
桃岩荘はその昔、一つの漁港の主要な建物として使われていたようだ。
「8時間コース」の帰り道、また地蔵岩訪問時、計二箇所でトンネル工事が進められていた。
その名も「新桃岩トンネル」。
開通後は現在の「桃岩トンネル」は道としては閉ざされるそうだ。
「8時間コース」の朝、岬まで我々を送り届けてくれたオーナーの後継者はいるのだろうか。
この「桃岩荘」を次世代に向かって、多くのヘルパー卒業生を中心に盛り上げてほしい。



●明け方の桃岩荘からの海岸線。中央に小さくあるのが猫岩。



2015年8月18日火曜日

豊富温泉とサロベツ原野


豊富温泉  ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
◉北海道天塩郡豊富町〔ナトリウム-塩化物泉・炭酸水素塩泉〕

クッチャロ湖から道北を横断する県道を豊富町に向かってドライブ。オホーツク海に別れを告げて比較的平坦な山道はすれ違う車が僅か数台、車無し、信号無し、人影無し。動物注意の交通標識は多かったが、蝦夷鹿は現れなかった。途中二件あった牧場の牛たちが妙に心に残る。大自然の中に置かれた人は他に見るものもなく人間は動物と同じ生き物なんだと当たり前のことを思う。

朝9時前には目的地の豊富温泉に到着する。湯場は二箇所あると告げられ早速見に行くと廊下を挟んで入り口は異なる。つまり二箇所の浴場を楽しむには一度脱いだ衣服を着、また脱いで二つ目の浴場に入るといった手間のかかる行程が必要になる。温泉場の人によるとぬる湯と普通湯の違いだけだでぬる湯は湯治向け、一般客は普通湯を強く勧められた。おまけにこの時間のぬる湯は湯治客に占領されていると聞く。案の定、覗いてみると常連さんと思われる湯治客10人位が丸く円弧を描き湯に浸かりながら談笑している。それに水を差すように脱衣場の戸を引き中を覗き込む小生。20以上の視線が一気に集まる。気まずい雰囲気だ。鶴の恩返しとはいかないが、まるで見てはいけないものを見てしまったようでぬる湯に入るのはあきらめパスしてしまう。

一般客向けの湯場は先客が2人。湯の色は薄めの褐色でその湯の表面に油がプヨプヨ浮いている状態だ。石油臭には慣れてはいるが、ここまで油分が湯に混ざっているのは初体験で笑みがこぼれる。湯に潜り存分に北海道の素晴らしい温泉を楽しむ。至福のひとときだ。子どもに急かされ湯場を離れるも、やはり気になる湯治湯のぬる湯。帰りがけに再度覗くも、湯治客に占領されている状態は変わっていない。まあ湯の温度の違いだけならいたしかたあるまい。自分にそう言い聞かせ温泉場を後にする。

この温泉場は温泉マニアのサイトで知り駆けつけたわけだが、コメントを読んでしまうと湯の楽しみが半減されてしまうため、大半の内容は実際に湯を楽しんだ後に読むことにしている。今回も温泉場名、場所とオススメ度の星マークしか確認しなかった。

帰京して温泉マニアのサイトを読んで驚いた。湯治客用の湯と一般客用の湯は全く異なる湯で、しかもそのコメントを読んだら最後、湯治客用の湯は特筆する湯で絶対に入りたくなるようなことが書かれているではないか。。。。うううっ。。やられた。

今考えると温泉場の人から見ればわたしは子ども連れのごく普通の流れの典型的な一般客で、とても泉質にこだわってこの温泉に来ているようには見えなかったであろう。普通湯を勧めた温泉場の人を責めるつもりはないが、道北まで来て目の前にある温泉を一つ逃した自分に腹が立つ今。再訪して湯治湯に入ることを夢見る。


⚫︎天然石が磨かれている状態を見るかぎり温泉の濃度は聞くまでもない


2015年8月17日月曜日

クッチャロ湖キャンプ場と浜頓別温泉

クッチャロ湖キャンプ場

オホーツク紋別空港から海沿いの国道を北上すること約100キロ。浜頓別は稚内に至るドライブの中継点に位置し、温泉とキャンプが同時に楽しめる施設があるので迷うことなくここで一泊させていただくことにした。

羽田空港の保安検査でキャンピングガスを没収されキャンプ場での食事に若干の不安があったが、幸運にもアウトドア用品も扱うスーパーマーケットに巡り会いキャンピングガスと食料を買い込むことができた。これでキャンプ場での食事には支障がなさそうだ。

途中、サロマ湖と興部町に寄道。オホーツク海を臨むドライブにエアコンは不要で、窓を開けて受ける風が涼しげに私たちを迎えてくれた。東京の距離1キロは横浜の5キロ。東京の1キロは北海道の10キロ。そんな車中での会話のなか、窓からの景色は、あたり一面に広がる草原と牧場。道路の巾もゆったりと作られていて車の走るスピード感覚も内地とは異なり、60km/hで走っているつもりが80km/hは出てしまうといった具合だ。

⚫︎牛と海そして草原 生まれて初めて見るこの景色はまさに異国情緒



●麦畑 生まれて初めて見るこの景色はまさに異国情緒


初めて北海道の地を踏む息子、はじめは初めて見る車道境を示す矢印に興味津津。雪国ゆえの事とは理解できるが赤色と黄色があり、違いを質問されるが正直よくわからない。信号機は雪が信号機の上に積もらないように配慮されているのか、もしくは制限速度表示もない国道ゆえ、スピードを出すドライバーが多いため安全を配慮してかわからないが信号機は全て縦型で勿論赤灯が上にある。北海道はまるで異国。私もなにを隠そう僅か半年前に初めて北海道を訪れたばかりの北海道初心者である。

クッチャロ湖のキャンプ場には夕方の6時頃に到着。日が暮れるまでにキャンプ場で借りたテントを張らなければならない。テントはテント内で直立できるほどの高さをもつ大きさでファミリー向けの5人用といった具合でかなり大きい。このような大型テントは当然今まで張ったことがない。正直、小型のテントでさえ前回の海外旅行のチリ、パイネのトレッキングで人の手を借りて張った経験しかない。学生時分からテントを張ったオートキャンプ、山中のテントには興味はあったが時間と金に余裕がなく、これらの活動は将来の楽しみに取っておいたもののひとつであり、なにを隠そうまったくのキャンプ初心者である。





浜頓別温泉 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
◉北海道枝幸郡浜頓別町クッチャロ湖畔〔ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉〕

見馴れた褐色の湯の浴場は平成の世に作られたいたって平凡な公営の温泉浴場「はまとんべつ温泉ウイング」はクッチャロ湖湖畔に建つファミリー向けのホテル併用温泉である。夏休み期間中とあって道内からのファミリーを中心とした多くのお客さんは浴場内で夕飯前後の湯を楽しんでいる。

併設されている湖畔のキャンプ場の管理はこちらで行われていて、秋の気配がする肌寒い陽気といつの間にか寒がりになっていた子どもの体調も重なって毛布を一枚レンタルした。キャンプ場は広いこともあり人はまばらに見えるが数えるとそれでもしっかり30人はいた。車、バイクそして自転車と交通手段は様々だ。決して広くはない浴場にも30人近くの人が所狭しと広大な北海道にしては少し密度が高い。

空が臨める露天風呂でもあれば人口密度もさほど気にはならなくなるものだがそれも無く期待も半減される。そんなことはおかまいなしに子どもはこれから入る湯舟を前にニコニコはしゃいでいる。動く速度も子どもらしく小走りだ。そんな姿を見ていると湯の質は二の次。父親として子どもと旅行できる喜びを噛み締め湯舟に浸かる。

浴槽にゆっくり浸かり右手で湯を揉む。その感触に驚く46才。見事な弾力性に富んだ湯で素晴らしいヌルヌル感。これは恐れいった。完璧にやられた。いたって平凡な湯と思いきや、口元が緩む。薄口醤油で作ったタレのような絶妙なトロミは浴槽に浸かる老若男女がまるで中華丼の具に見えてきた。

今夜はキャンピングガスでマカロニを茹でミートソースを加えてあたためる。そしてワインと乾き物、スナック菓子で一杯。締めはカップ蕎麦。帰宅したら自炊メニューの中華丼に副題として「浜頓別温泉タレ」を付記しよう。中華丼のたびに思い出す温泉は驚きも加点され堂々と星5つとさせていただく。北海道の温泉恐るべし。

⚫︎倒壊寸前のファミリーテントは強風にあおられながらも朝までこらえてくれた




2015年7月5日日曜日

新横浜公園スケボー広場と日産ウォーターパーク

雨あがりのスリップ事故。全くの不覚だ。宙を飛んだ身体は右太ももからお尻のあたりで不時着。手のひらも同時に地面に突き当たり右手のひらも痛みがはしる。外傷は全くないが強烈なうちみ。打撲。10年位前に女性が運転するスポーツカーに跳ね飛ばされ宙を飛んで以来の痛みが残る。

先月から始めたキャスターボードは実に楽しい。気持ちよく滑りながら体重を上下にリズムよく動かす。そしてやや右足に重心を移したその瞬間、不幸にも前後のキャスターはまだ乾ききらない僅かな水溜りの上にあり、後輪のキャスターは右足に移った体重が手伝い見事にスリッップ。子どもからは心配の大きな声がかかる。

今日は雨あがりの夕方に日産スタジアムのある新横浜公園のスケートボード広場にやってきた。勾配がついたツルツルに仕上がっているコンクリート表面は自宅の隣にある上品濃公園とは広さも出るスピードも全く異なる次元だ。日中は同じスタジアムにあるプールのウォータースライダーでクルクル回転しながら直径1mのチューブ内で重力にさからい、身体のあちこちをぶつけながら滑って勢いよく着水して楽しんだ少しやんちゃなオヤジの身体は疲労困憊し、いつもよりキャスターボードに足がついていなかった。

⚫︎兄弟でキャスターボードを楽しめるとはほんとうにうらやましい2人だ

ウォータースライダーで遊べる条件は身長120㎝以上。僅かにそれを超えた5才児は公にいよいよ少年の仲間入り。同時に先月からインラインスケートで慣らしているバランス力をばねに父親としていよいよ本日キャスターボードを解禁させた。

追記)
宇宙ならぬ宙を舞った身体の翌日は鉛のように重く全く身動きが取れない。。。
宇宙旅行の翌日だから少し身体を休めた梅雨時の週明けの朝。
居間から聞えるテレビ音声は集中攻撃を受けるなでしこジャパンのワールドカップ決勝戦。
いたたぁぁ。

2015年7月3日金曜日

肉じゃが(2)

取引先の方にジャガイモをいただいたので今夜は肉じゃが。
以前にも一度作ったことがあるのでまあなんとかなるだろう。

家庭菜園で育ったジャガイモは形や大きさはまばらで、自然に育った素直で新鮮なジャガイモだ。土をきれいに落としてくれたためか、新ジャガのためか、むく皮は薄くむけやすく10年以上使用している皮むき器が気持ちよく仕事をしてくれる。

⚫︎肉はもちろん豚でご飯がすすむために汁は多めが私流で彩りの人参は欠かせない

《材料》
ジャガイモ
ニンジン
タマネギ
しらたき
豚肉

《調味料》
だし汁(麺つゆ)
砂糖 大5
酒 大4
みりん 大3
正油 大2

《調理法》   
炒めて煮る

⚫︎肉が少ない「肉じゃが」は5才児によると『じゃが肉』と呼ぶそうだ

小生も家庭菜園を考えてから数年が経ち、購入した本もそのまま。。。
3人の子どもたちの年令バランスを考えると来年は家庭菜園を開園しよう。