2015年3月30日月曜日

八ッ場ダム

JR吾妻線の川原湯温泉駅は温泉宿と共に既に高台に移設していた。国道も高台にバイパスが完成されていて車のカーナビの地図では道なき山中を動き回り、このような片田舎では珍しい立体交差のアンダーパスや2kmにも及ぶ長いトンネル、そしていずれダムとなる水瓶の上を渡る強固なつくりの長い橋を走り抜ける。その全てがまだ新しく周辺の環境にとても馴染んでいるとは言い難い。

その橋の下にはプラモデルのように小さく見える跨線橋が以前ここに川原湯温泉駅があったことをおしえてくれる。周辺には全く人影はなく土砂を積み込んだダンプカーが数分間隔で機械的に走り抜けていく。既に人家も移設を余儀なくされた後らしく、その周辺は工事現場そのものだ。カメラにその風景をおさめて橋のたもとまで歩いてみると工事現場によくある移動式の簡易的なバリケードにまるで人家の表札のように名字と矢印が書かれた札がかけられていて、その方がまだ橋の下で生活をしていることを教えてくれる。

⚫︎吾妻川沿いにあった川原湯温泉駅はどこまで解体されてダム湖に沈むのだろうか


そんな表札と矢印を辿ってまるでその方の訪問客になりすまし車で堂々と降りて行く。いずれダムの水面下に埋もれるところだと思うととても感傷的になる反面、監視人に退去を求められるのは時間の問題だろうと現実的になる。線路近くに車を止め線路内に侵入するのはとても容易い。要所に立入禁止のロープが張られているがまったく気にならない程度だ。車の乗り入れはこのあたりまででこの先はバリケード封鎖されている。工事関係者以外は立入禁止。しかし徒歩で侵入することはとても容易い。さすがに子どもを連れて侵入するのは躊躇し、子どもたちを安全地帯に置き去りにして目の届く位置に侵入範囲は限られた。もし子供たちがいなかったらどこまで侵入していただろうか。少なくとも工事関係者に化けるのは仕事柄、朝飯前だ。

もう25年くらい前になるだろうか。宮ヶ瀬ダム建設現場を訪れたことをふと思い出す。その後、ダム完成後に再訪する。そこでとても異様な雰囲気を感じた。ダム湖特有の静かな深い青色の水は底なしの沼のようで何か不気味な気配だ。本当にダム湖の中から何が出てきてもおかしくない。あるいは泥沼に足を取られるようにダム湖に足を取られてもおかしくない。。。。「まんが日本昔話」の見すぎだろうか。。。完成後いずれ訪れることになるだろう八ッ場ダム。そこでまた人間の偉大さと同時にやるせない切なさを痛感するのだろう。


⚫︎バリケードをまたぎ越えて侵入して撮影した1枚。
上からダム湖を横断することになる新橋、ダム湖に埋まることになる廃線の鉄道トラス橋、旧国道のアーチ道路橋そして吾妻川はどこか寂し気に映る。



⚫︎鉄道の信号機に思わず上ってしまったところをすかさず子どもに撮影された


⚫︎左側が新線の吾妻線でコンクリート製の新橋は強固なデザインで少し威圧感が否めない。
右側の旧線は既に全ての架線が撤去されていた。撤去後に残るレールの跡が少し寂しい。



2015年3月23日月曜日

猿橋、八ツ沢発電所施設第一号水路橋と中央自動車道トラス橋

今日は橋を見に猿橋までやってきた。途中、桂川(山中湖水源で相模ダム経由で相模川となり相模湾に注ぐ)沿いに歩いて岩場を登ると頭上に順序良く鋼製のアーチ道路橋、木製の猿橋、鉄筋コンクリート製の八ツ沢発電所施設第一号水路橋そして鋼製のアーチ橋道路橋(国道20号線)まで一度に見ることができる素晴らしい場所である。
⚫︎猿橋渓谷と名付けた此処からは猿橋と水路橋を同時に堪能できる


月曜日の昼時とあって、此処猿橋のたもと大黒屋旅館前のベンチに腰掛けているが、観光客どころか人っ子ひとりいない。大黒屋の店員さんが黙々と店前を清掃しているだけだ。車の往来が少し耳障りだが、水路橋を勢いよく流れる水の音と鳥のさえずりがとても気持ちよい観光スポット、猿橋である。

猿がつながって対岸に渡った姿につくりが似ていると言われる猿橋は明治天皇も訪問されたという由緒ある橋だ。現在の橋は石塔によると戦前の昭和9年竣工である。はね木と呼ばれる木を数段組むことによって橋のスパンを短縮させて、それに橋桁を乗せる工夫がされている木橋で、銅板で葺いた屋根がすべての木部を覆っている手間のかかる橋。まさに奇橋だ。
⚫︎姿形はまるで4体の竜が橋桁の1体の竜を支えているようだ


一方の八ツ沢発電所施設第一水路橋は1912年の明治時代後半につくられた、なんと鉄筋コンクリート製である。鉄筋コンクリートが建築で一般建築物として普及しはじめたのが1960年の昭和30年代後半とするとその半世紀も前の50年前、2015年の平成27年からは遡って100年も前のことで、当時の最先端の技術を駆使した価値ある水路橋と認識する。

水が勢いよく流れる様をその真上から見るいま、100年の間いったいどのようなメンテナンスがおこなわれたのだろうかとても気になるところである。わたしごと100年生きるつもりはないが、わたしの日々のメンテナンスは美味い食事とスポーツで、月々のメンテナンスは温泉と旅行といったところだろうか。本日はその温泉と旅行の時間。第三の人生のスタートと位置づけた今年、2015年はひとつの節目にしたい。
⚫︎鉄筋コンクリートの重さを感じさせない此の水路橋は本当に美しい


駅まで戻る途中に中央高速道名物のトラス橋を下から見上げることができた。子どもの頃から見続けてきたこのトラス橋はいつも高速道路車中からの景色であり、今日はじめて高架橋下からゆっくりと眺めることができた。高速道路を走り抜ける車のスピード感のある音と、ゆったりとした下界のスピード感の違いを感じると、なにか虚しさだけが残るのはわたしだけではないだろう。

その高速道の部分は足場を設けて路盤の補強工事が行われていた。土木は建築より、より男の世界を感じる。日に焼けた男の顔を見るといつも自分が軟弱であるように思えてならない。他人がわたしを見る自分と、自分がわたしを見る自分はいつも違う。ある時、射手座の血液型O型の女性がわたしに言った。射手座の血液型O型の人は「人と群がらない」。確かにその通り同感だ。その反面、決して態度には表さないが、「とても人恋しい人間」でもあるように思う。未だそう言い返せない今の自分はまだまだこれからだ。
⚫︎中央高速の正式名称は「中央自動車道」。笹子トンネルの事故が未だ記憶に新しい。



2015年3月22日日曜日

ホテル湯王温泉 ⭐️⭐️⭐️

◉山梨県甲府市住吉〔単純泉〕


ホテルのフロントの目前に銭湯をまるごと移設してきたようなつくりは、松竹錠の下駄箱を挟んで左に男湯、右に女湯の暖簾が垂れている。一石二鳥のこの空間はまさに甲府出張の温泉好きなわたしのために生き残ってくれていた昭和の温泉ホテルと言うことができる非常に合理的な施設である。さらに驚いたことにホテルの外壁の一部であるガラスには様々な催しを記す「張り紙」があり「超初心者向けパソコン教室開催中」等、宿泊以外にも温泉銭湯の集客力から地元住民との横のつながりは強そうだ。
⚫︎立派なホテル正面口の奥には新館もあり決して規模は小さくない


フロントでは旦那が問い合わせ客の電話対応中。そこで先ず浴室入口周辺をチェック。その後、辺りを見渡すと壁に埋め込まれたショーケースのような展示スペースに甲冑やら何やら無造作に並べられている。ロビーには柱時計。。。これは正真正銘の正統派、昭和の田舎ホテルである。わたしの世代には懐かしいやら恥ずかしいやら、電灯もうす暗く、まるで実家にいるような感覚で非常に落ち着くのはわたしだけではないだろう。

チェックインは前金制で税込3,600円を支払う。甲府から身延線で「湯王温泉」がある甲斐住吉までの交通費190円×2を含めても4,000円とユースホステルなみの価格である。しかも部屋はもちろん個室でベッドは清潔なシーツでしっかりとベッドメイキングされていて、TV、WI-Fi、冷蔵庫、便器のあるユニットバス、浴衣そしてなんと「ちゃんちゃんこ」まで用意されている。これには平伏した。少年時代に連れていかれた宿で着た覚えのある「ちゃんちゃんこ」にそっくりだ。色柄、質感までまったく同じもののように思えてならない。およそ40年もののビンテージ。泣ける。
⚫︎昭和時代に流行った色のカーペットに織物調の草色ちゃんちゃんこ


さてお目当ての温泉は午前6時から午後10時まで。時間を有効に楽しむことを考えると夜間は外出して楽しみの温泉はチェックアウト前の朝風呂とする勇気ある決断。外出といっても向かう先は近隣の温泉銭湯である。足はホテルの貸し自転車。貸し自転車が準備されているホテルは本当に有難い。出張先のホテルの決め手は金額はもちろん貸し自転車の有無がとてもとても重要な要素だ。

チェックインの時に朝食をホテルに依頼するか少し迷った。金額は700円となんとも判断に迷う。夕飯にありつけない場合も想定すると朝食はしっかりと取りたい反面、旅先で満足する食事にありつけない場合は断食やパンをかじる程度で済ますことが多い自分を知っているからである。今回、ホテル側には申し訳ないが満足できる朝食ではなさそうなのであっさりとパスすることとした。

⚫︎旅先で得意の自分撮りが出るときは上機嫌の証し


翌早朝、近くの住吉神社まで散歩に向かう。フロント目前の浴場下駄箱前には男性の靴が一足、朝湯を楽しんでいることを知らせてくれる。ホテル滞在客は多く見積もっても10人程度だろう。散歩から帰れば浴場にはもう誰もいない貸切風呂を楽しめるに違いないとたかをくくって散歩に出かける。これから出逢う新しい温泉に期待して散歩から帰り、すぐさま浴場へ向かう。ところが下駄箱前に着くと靴はもう一足増えていた。先に入っている人は早朝から長湯な男だ。と余計なお世話と思いながらどんな面か見に浴場に入ると驚いた。なんと浴場には7人位の人が湯を楽しんでいる。靴は皆、行儀よく下駄箱におさめていたのだ。しかも男たちはほとんど早朝風呂を目当てに自宅からやってきた先輩群オヤジ達である。いっぱいやられた。これが地元に根ざした素晴らしい複合施設「湯王温泉」の朝である。

湯は無臭で柔らかな鉄錆味がする淡い黄褐色で飲用可の印であるカップが湯出口の龍の頭に置かれている。水栓から注がれる湯も温泉の印で金具が褐色に染まっている。ぬるぬる湯、ぬる湯、標準と3つの浴槽に加えて幼児用プールのように浅い浴槽が1つ打たせ湯とともにある。設備は全体的に古さを隠せない。いや隠そうともしていない堂々たる姿で年輪を重ね続けている。豊富な湯量は自噴で毎分400リットル、30秒でドラム缶1本が満タンになると誇らしげに書かれた看板がエレベーターと浴場内にある。泉質のインパクトは無いが、日常の湯治風呂として周辺住民への効用は絶大なものがあるに違いない。一見くたびれたあやしいホテルに見える「湯王温泉」だが、ホテルの枠を越えたある意味最先端多様なサービスを提供する素晴らしい複合施設。これからも地道な継続した活躍を期待したい。

⚫︎なんとユニットバスの蛇口から出るお湯は正真正銘の温泉


2015年3月13日金曜日

ネバーエンディング・ストーリー

長男坊はじめが学校の演奏会にてリコーダで奏でた曲が「ネバーエンディング・ストーリー」で、その後もちょくちょく楽譜を見て自宅で演奏していたのでよっぽど気に入った曲だろうと思い、もう一つの思い出づくりにと、その曲がテーマ曲である映画のDVDを購入した。映画の題名を告げずにDVDを再生開始。オープニングでテーマ曲が流れるとすぐさま奇声をあげていちもくさんに自分の部屋からリコーダを持ち出してきて曲に合わせて楽しそうによろこんで演奏する長男坊はじめには親としてしてやったりだ。

ストーリーは夢をなくした人間が現代に多いことから、世界が滅亡する「無」の世界が訪れる。それを阻止するために立ち上がった子どもアトレイユの冒険だ。その冒険は読者の内気なバスチャンといまこの映画を見ている視聴者である子どもたちをも巻き込み、いかにも一緒に「無」の世界を阻止する冒険しているように演出されたファミリーファンタジーワールド。80年代を代表する映画の一つだ。

わたしが高校1年生の時の映画で、おとなぶった16才にはストーリーが幼稚でとてもガールフレンドを誘える映画ではなかったように記憶している。当時のインフォメーションはコンビニで立ち読みする「ぴあ」しかなかった。今考えるとまだ時の流れもゆっくりしていたものだととても懐かしく感じる。それからちょうど30年。いま3人の子供たちとその見過ごした映画を一緒に見ていると思うと感慨深い。当時のわたしは音楽と映画の鑑賞を比率で表すと9:1といった割合で音楽、とりわけその年令時分はポップミュージックが大好きであったことから「ネバーエンディング・ストーリー」も映画よりテーマ曲のほうがより気持ちが入る。

ふと自分が小学5年生の時の合唱コンクールで木琴を奏でたゴダイゴの曲「ビューティフル・ネーム」を思い出す。間違えないようにドキドキしながらもとても楽しかったことを昨日のように記憶している。やっぱり音楽っていいよなぁ。。。映画も勿論。
 ⚫︎アトレイユを乗せて飛び立つファルコン

2015年3月2日月曜日

地蔵尊

山の北側斜面に造成された場所に建つ住宅の改修工事に通うこと1ヶ月。
雨上がりの今朝、現地から雪化粧の富士と青青っとした海を望むことができる。
山はちょっとしたハイキングコースがあり県によって管理されている。

昨日はしっかりとした雨が降ったようで山から流れ落ちる水がちょうど工事現場の脇を小さな沢を形成して勢いよく滝のように流れ、公道の下の排水溝に音を立てて合流していく。その公道は工事現場の隣の家の前で行き止まりになっている。

空気の澄んだ山裾に造成された行き止まりの住宅地の中、
見かけない婦人がその行き止まりの道の方から犬を連れて突然現れた。
婦人は工事現場の家の前までくるとすぐさま引き返し、行き止まりの方向に歩いて戻って行った。

気になり後をつけていくと今まで行き止まりだとばかり思っていた道が、
じつは曲がり角になっていて人が一人通れる立派な通路につながっていた。
通路の下は排水溝がありいわば排水溝の通路である。

そんなことを思って通路を歩いてすぐ、山の北側斜面に少しだけ平らな場所に
なんともひっそりと地蔵尊が建立されているではないか。これにはかなり驚いてしまった。いままでまったく気がつかなかった自分の視野の狭さにかなり反省してしまった。

●住宅地の山裾の地蔵尊は真っ直ぐ富士に向かって建立されている


早速、地蔵さんに挨拶に行くと、なんとその地蔵さんは見事な手作りの木像である。
しかも地蔵さんの足元を見ると、太い木の根が美しいカーブを見せて木像を形取っている幹とつながっている。まるで地蔵さんに足があるようでその姿は正座しているように見える。機械彫りの石像に見慣れているせいか、木像というだけでありがたみを感じずにはいられないうえに、この今までに見たことのない樹木の美しい自然美をいかした木像は見事だ。

●地蔵菩薩は地元の人に愛されいるようでなんとも気持ちがよい


地蔵を祭る小屋も見事な作りで、無垢の丸太と板梁で鳥居形をつくり、正面の入口の庇にあたる屋根をしっかりと支えている。その木製の鳥居形の柱両脇の仕口部には何やら彫刻が施されていたようで、はっきりとは分からないがどうやら狛犬のようである。これはなんとも素晴らしい。
●地蔵小屋の入り口の仕口に施された彫刻は狛犬か

いままでまったく気がつかなかった愚か者は、無言でその在り処を教えてくれた人と犬に感謝し、本日も人間の力に称賛と感謝の一日である。