⚫︎猿橋渓谷と名付けた此処からは猿橋と水路橋を同時に堪能できる
月曜日の昼時とあって、此処猿橋のたもと大黒屋旅館前のベンチに腰掛けているが、観光客どころか人っ子ひとりいない。大黒屋の店員さんが黙々と店前を清掃しているだけだ。車の往来が少し耳障りだが、水路橋を勢いよく流れる水の音と鳥のさえずりがとても気持ちよい観光スポット、猿橋である。
猿がつながって対岸に渡った姿につくりが似ていると言われる猿橋は明治天皇も訪問されたという由緒ある橋だ。現在の橋は石塔によると戦前の昭和9年竣工である。はね木と呼ばれる木を数段組むことによって橋のスパンを短縮させて、それに橋桁を乗せる工夫がされている木橋で、銅板で葺いた屋根がすべての木部を覆っている手間のかかる橋。まさに奇橋だ。
一方の八ツ沢発電所施設第一水路橋は1912年の明治時代後半につくられた、なんと鉄筋コンクリート製である。鉄筋コンクリートが建築で一般建築物として普及しはじめたのが1960年の昭和30年代後半とするとその半世紀も前の50年前、2015年の平成27年からは遡って100年も前のことで、当時の最先端の技術を駆使した価値ある水路橋と認識する。
水が勢いよく流れる様をその真上から見るいま、100年の間いったいどのようなメンテナンスがおこなわれたのだろうかとても気になるところである。わたしごと100年生きるつもりはないが、わたしの日々のメンテナンスは美味い食事とスポーツで、月々のメンテナンスは温泉と旅行といったところだろうか。本日はその温泉と旅行の時間。第三の人生のスタートと位置づけた今年、2015年はひとつの節目にしたい。
駅まで戻る途中に中央高速道名物のトラス橋を下から見上げることができた。子どもの頃から見続けてきたこのトラス橋はいつも高速道路車中からの景色であり、今日はじめて高架橋下からゆっくりと眺めることができた。高速道路を走り抜ける車のスピード感のある音と、ゆったりとした下界のスピード感の違いを感じると、なにか虚しさだけが残るのはわたしだけではないだろう。
その高速道の部分は足場を設けて路盤の補強工事が行われていた。土木は建築より、より男の世界を感じる。日に焼けた男の顔を見るといつも自分が軟弱であるように思えてならない。他人がわたしを見る自分と、自分がわたしを見る自分はいつも違う。ある時、射手座の血液型O型の女性がわたしに言った。射手座の血液型O型の人は「人と群がらない」。確かにその通り同感だ。その反面、決して態度には表さないが、「とても人恋しい人間」でもあるように思う。未だそう言い返せない今の自分はまだまだこれからだ。
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