2015年2月15日日曜日

真琴3才

先週の真琴の3才の誕生日に泉と北海道に旅行に行っていたので今夜は兄弟3人が集まって誕生日ケーキを食べた。3才の真琴の次のステップはオムツ離れ。誕生日おめでとう。
⚫︎3番目の子は女の子でほんとうによかったな

関内特設リンク

相模原市の銀河アリーナとよばれるアイススケートリンクに午前10時過ぎに到着。スケート後は足腰が疲れるので近場の気になる銭湯。身体が温まった後は相模原という場所がら10年間も行くに行けなかった片想いのトンカツ屋で早めの夕飯。ニンマリと満足できる日曜日になりそうだ。来週から日曜日は仕事が続くため今日は2人の息子とスポーツ、銭湯そしてトンカツの最強のクリーンアップトリオだ。

しかしアンラッキーなことに、なんと本日は競技大会のため一般営業は行っていない。これはやられた。行く前に電話して確認するべきだった。早速、神奈川スケートリンク(建て替えのため現在は関内の特設リンクで営業している)に確認の電話。相模原から横浜まで逆戻りで、一路関内まで30キロの道のり。到着したのは11時過ぎ。まあ1時間の失敗で済んだのでよしとしよう。この年にして電話して確認してから行動することを学んだよい機会であった。
⚫︎東神奈川のリンク建て替えの為、廃校の体育館を利用している関内の特設リンク


⚫︎5才の泉を加えてこれからは3人でスポーツを楽しめそうだ


2015年2月14日土曜日

スイミングスクール

2月は満3才になる3番目の子、真琴のスイミングスクール解禁月。付き添えなかった先週の初回は泣きじゃくりスイミングプールには入らなかったようだ。今回はパパのわたしが付き添いだ。時間はかかったが水着はなんとか着せさせることができた。帽子はどうしてもかぶろうとしない。スタッフの力量で今回はプールに慣れることが先決と考えてくれたのだろう。帽子なしで特別にプールサイドまで連れて行ってくれた。プールの中に入るにも相当な時間がかかったがなんとか無事に笑顔でプールの中でゲームをして楽しんだようだ。

⚫︎初水着で得意のイジケポーズで動かない3番目の子、真琴



ユニバーサルデザイン・ブレインストーミングそしてプレゼンテーション

横浜市の公立小学校は完全週休二日制で土曜日は休みである。今日はわくわくランドと呼ばれる学校開放日。小学四年生の長男坊の学校生活を覗きに行った。


6名程度が1つのグループをつくり、ひとつのテーマを決めて各個人が数分間人前で発表する。時間割としては1グループ発表が約20分×3グループ=60分程度の授業参観日というわけだ。(6名×3グループ=18名では1クラス30名程度との数字が合わないが)


四年生のテーマは「バリアフリー」またその進化系である「ユニバーサルデザイン」。小生がユニバーサルデザインの言葉とその意味を知ったのが20代前半の建築を学んでいた時だったから時代の波である。


教室の壁にはさまざまな掲示物があるがそのひとつに思わず息を呑んだ。「ブレインストーミング」について記してある。学級会といえば意見を言ったその人その意見を寄って集って批判し合っていた時代が妙に懐かしい。小生がブレインストーミング、その言葉とその意味をしったのが確か30代半ば。時代のうねりである。


その発表の仕方だが、あるクラスのひとつのグループは紙にマジックペンに加え教室にあるTVモニタ(もちろん薄型の液晶)内に映し出された画像を利用して発表している。零細企業顔負けの素晴らしい「プレゼンテーション」手法である。小生が人前で画像を用いて話をする機会は40代になってから。つまり僅か数年前の話。時代の波に翻弄されながら生きるこれからか。
⚫︎学級会で使われていると思われるブレインストーミングのルール。「人まねOK」が愛らしい




2015年2月12日木曜日

朝日湯(4)⭐️⭐️⭐️⭐️

◉神奈川県横浜市鶴見区〔重曹泉〕

北海道旅行の締めに京急の生麦駅で途中下車。銭湯の閉店が相次ぐ時代、数年ぶりに訪れる「朝日湯」に若干の不安はあったが、第一京浜沿いの堂々とした店構えは健在だ。のれんをくぐり中に入ると番頭のお祖母さんが若がえり、あと取りの女将さんと思われる人が番台に腰掛けていた。「幼児はサービスしておきます」と5歳児は無料にしてくれた。(横浜市の銭湯は何処でも幼児は無料である)

⚫︎信号待ちで全てのドライバーが一目する朝日湯は第一京浜名物



ここはいかにも昔ながらの銭湯といった建物の造りで、正真正銘の木造。脱衣場の内壁は漆喰塗りで天井が高く白い壁と茶色の木の部分のコントラストが目をみはる。木部の茶色の塗装は最近施したようでまだまだ営業していく意思の表れと見え大変喜ばしい。
⚫︎格天井のある広々とした空間はまるで御屋敷の中にいるようだ


いつ来てもお客さんが絶えなく、平日の夕方どきもあってか小学四年生が3人で湯を楽しみに来ている。子どもたちだけで銭湯に入りにくるとは東京ではあまり見ることができない光景だ。うちの長男坊も同じ小学四年生だが、とても子どもたちだけで銭湯に行くことはできそうもない。朝日湯がある鶴見区はわたしの自宅がある東戸塚と同じ横浜市だが、東戸塚は新興住宅街で住宅はマンションだらけで緑はあるが何かと窮屈感がある。もっとも銭湯自体が皆無だ。

さてお湯は典型的な黒湯で濃度は高い。浴槽は全部で4槽。1つを除き全てに温泉の黒湯が注がれている。銭湯特有のレバー式の太い水栓から注がれる濃い黒湯はとても気持ちがよい。中でも低温の黒湯(水風呂の温度)は珍しく何度でも入ってしまう。水風呂のといえばサウナがつきものだが、オプションで100円必要で、わたしを含め利用している人はいない。

そして朝日湯のウリは何と言っても、蒔きで湯(黒湯温泉)沸かしていることだ。町の大工さんが不要になった木材をリヤカー(今の時代は小さくても軽トラックだろう)で運び込みそれを燃料としているのだ。わたしも子供のころ親父(大工さん)の手伝いで不要になった木材を実家近くの銭湯(非常に残念ながら一昨年前に廃業)に持ち込んだ思い出がありとても感慨深い。蒔きで沸かしたお湯は煮え立つように熱せられ、その湯に浸かっている身体は溜まった老廃物が根こそぎ身体から蒸発していくような心地よさと湯上り後のポカポカ感を味わうことができる。ボイラーで温められた湯に慣れすぎている身体にはとても新鮮で気持ちがよい。多くの銭湯がボイラーに転向していった時代をはるか通り過ぎ、近隣住民の理解もあってだろうーーー今なお蒔きで湯を沸かし続けていることは賞賛に値する。

⚫︎裏口に積まれた木材。この隣の空地には木材が整然と積み重なり順番待ちしていた。

初めての飛行機(いずみ5才)

広大な空の下、JR釧路駅に隣接するバスターミナルに真っ赤なエアポートバスが定刻通りに到着。そして約30分、釧路たんちょう空港に着くといよいよ5才の泉との北海道の旅も終わりを告げられたようで少し寂しい気分だ。そんな親心とは裏腹に初めての飛行機の搭乗に少し緊張しながらも興奮気味の泉くん。今回の旅行の最後のハイライトだ。

⚫︎釧路たんちょう空港ではかわいい小さな雪だるまたちがわれわれを迎えてくれた

平日ということもあり空港内では子どもを見かけることがほとんどなく、チェックイン後の手荷物検査所目前で「子どもが飛行機に乗ることができるか聞いてみる」と泉に少しおどかしてみると、手荷物検査所通過後はホッとした様子で「駄目かと思ったよう」と満遍の笑みを浮かべた。
⚫︎手荷物検査をパスすると安心した笑顔を見せてくれた

釧路から羽田まで1時間40分のフライトは初めてマイレージを利用してJAL便で2人分のチケットを購入。離陸後の窓から望む雪化粧した太平洋の海岸線の景色は、あっという間に整然と埋め立てられた地形をもつ東京湾のコンビナートへと様変わりし、乱立する都心のビル群に変化していった。

●機内でもらったミニミニ飛行機で早速飛行機ごっこ。表情が真剣。


数日後の自宅でのプラレール遊びではSLが主役で駅名は札幌、西18丁目、帯広、釧路。特急の名称はスーパーおおぞら号。そして空港があり飛行機のオモチャが仲間に加わっていた。

カキとタチの冬ラーメン

◉カキとタチの冬ラーメン 魚醤味  1,310円 ⭐️⭐️⭐️ 「らーめん工房 魚一 (丹頂市場内)」

JR釧路駅から徒歩3分程度の市場内にあるラーメン店。
釧路空港行きのバスに乗り込む前に舌づつみを打つ。

ラーメンは見た目よりかなりアッサリ。
子供が残した味噌ラーメンと追加で注文した豚丼をペロリ。

⚫︎タチとはタラの白子だそうだ。精力つけて65歳まであと20年働けるかな。

こってり味を注文したが私にとってはあっさり味だった。
太麺を注文したが私にとっては細麺だった。
魚の出汁と醤油の魚醤味を注文したが私にとってはさっぱりした塩味だった。
ガッツリモリモリ食べたかったが非常に上品な味のラーメンだった。


2015年2月11日水曜日

茅沼温泉 憩いの家⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

◉北海道川上郡標茶町茅沼〔ナトリウム−塩化物泉〕

釧網本線の茅沼駅は現在は無人駅だが歴代の駅長が丹頂鶴に餌付けしたことで丹頂鶴がくる駅として有名らしい。塘路駅から午後2時半の1両編成の列車に乗り込み整理券を引き抜く。整理券には番号と乗車駅が記されている。ワンマンカーの列車は乗務員が一人で運転はもちろん、ドアの開閉と乗客の運賃支払い前の両替にも対応する。
⚫︎茅沼駅の無人駅舎。駅舎の向こうにプラットホームそして単線の釧網本線の線路がある。さらに線路の向こうには見渡すかぎりの広大な釧路湿原が広がる。


茅沼駅で下車する人は誰もいない。僅か20分くらい前に釧路行きの臨時列車のSLが大きな汽笛と白と黒色の煙りをモクモクとはき出している。丹頂鶴が何処かへ一掃されてしまったか。話半分としても鶴がいることを少しは期待していたので、あたりをキョロキョロ見渡したが残念ながら鶴の姿は見えない。見えるのはあたり一面の雪景色と閑散期の冬のためか、営業していない木造りの家のレストランと郵便ポストがあるだけだ。集配時間を確認すると集配は1日1回。ポストマンは50ccの単車か軽自動車か、そういえば北海道にきて軽自動車をあまり見かけていない気がするな。そんなことを考えていたら凍結している路面でおもわず滑って転んでしまった。転び方が見事なウルトラEの中年オッサン風でとても悲しい。

気を取り直して線路と湖に挟まれた雪道をゆっくりと5才の次男坊と手をつなぎながら歩くこと30分。鉄筋コンクリート造の憩いの家は二階建ての素朴な施設だ。送迎マイクロバス2台と釧路ナンバーの地元の乗用車が10数台、広い駐車場に陣取っている。人っ子一人いない道を歩いてきたので人の気配と強固な建物は心強い。建物へのアプローチは車道だけで歩いてくる人のことは考慮されていないか雪で目に入らないかどちらかだろう。ゆったりとした曲がり角を曲がってようやく入口が見えたその瞬間、まさに自分の目を疑った。なんと丹頂鶴が4羽、仲良くふつうに歩いているのだ。温泉宿の目前で見かけるとは相当人馴れしているのか。すかさずカメラを取り出し写真とビデオにおさめる。長く細い脚に白いボディのスタイル抜群の丹頂鶴が銀世界を背景にゆったりと羽根を大きく広げて飛び跳ねる姿は抜群だ。おそるおそる近づくと少しづつ逃げていく。入浴前に体温は急上昇。文句なし大満足である。

⚫︎湿原の境界線までやってきた仲良しの丹頂鶴ファミリーが目の前を横切る。


さて肝心の温泉である。脱衣場はほのかな硫黄臭で期待が高まる。内風呂は打たせ湯と岩風呂を含めて4カ所。すぐさま突き当たりの露天へめざし、その扉を開けると期待通りに景色は見事な銀世界。白樺の木と凍りつくシラルトロ湖をのぞむ露天風呂は感無量。泉質は柔らかな塩味で無色。肌にヒリヒリ感は無い。湧き出し47℃の源泉かけ流しの浴槽での温度は42℃前後で見事に適温。それに加えて入湯料450円でのこのパフォーマンスとは北海道の温泉おそるべし。

⚫︎白樺の木と凍りつくシラルトロ湖をのぞみながら源泉が波波と放流される露天風呂

ワカサギ釣り(塘路湖)

初体験が大好きな46歳はワカサギ釣りにチャレンジ。5才の次男坊が飽きないように工夫するのが難題だが、今日は凍りついた湖の上で半日ゆったりとのんびり過ごす予定なのだ。天候は文句なしの晴天で釣り人はけっして多くもなく少なくもなく完璧なロケーションだ。あとはワカサギだのみといったところだ。先客に挨拶がてら「釣れますか?」の一言。テント持参の釧路ナンバーの親子連れが大多数で子づれのわたしは気軽に声がかけやすい。年年釣れなくなってきているとの答えが多く少し残念な気分になるが、ゆったりとしたペースで既に10匹以上は釣り上げていた。

さていよいよチャレンジ開始である。昨日電話しておいたのが功を成したのか、わざわざ内地から手ブラでしかも駅前の宿から雪道を徒歩30分かけて湖畔まで釣りにきたので大サービスか知らないが、サービスを提供する現地スタッフが釣り糸を垂らす孔をなんとエンジン付きの孔あけ器で10箇所以上も素早くあけてくれた。(一般の釣り人は手動の孔あけ工具で1箇所に孔あけて釣り糸を垂らしている人が大半。釣りというよりも氷上のキャンプを楽しんでいる様子でテント持参で入場料は特になしーーーわたしは手ブラなので釣り竿から唐揚げまで全てのサービスの提供を受けて1日2,500円)

どうやら魚の群れに巡り会えたようで所謂入れ食い状態である。釣り糸を垂らし釣れなくなると次の孔へ。また次へと忙しい。。。2匹同時に釣れる楽しさと餌が何度も使えて餌替えに時間を取られないからか2時間で80匹以上の大漁である。のんびりするつもりが誤算であったが次男坊は飽きるどころか大喜びだったので親としては大満足の初体験氷上湖畔ワカサギ釣りだった。


近くを走るSLの汽笛がきこえると昼ご飯どきで、ちょうど一息ついたので釣りは切上げてレストハウスで唐揚げにしてもらった。ビニル袋詰めにしたワカサギに片栗粉を入れて油で揚げ塩を振っただけという素朴なワカサギの唐揚げはとても美味しくいただくことができた。次男坊もパクパクむしゃむしゃまた大喜びで、こちらも大満足の冬の湖であった。是非、夏にも訪れたい塘路湖は宇宙飛行士の毛利さん夫妻が数年前に此処でカヌーを楽しんでいる様子の写真が唐揚げを食べた湖畔のレストハウスにあった。

釧路湿原とうろユースホステル

雪一面に覆われた釧路湿原を背景にのんびりと行き交う列車をホステルの窓から見下ろしながら遠く阿寒岳を臨みたそがれることができる。なんと素晴らしい景色だろう。その景色を楽しむことができる南側の部屋を提供していただいたことに宿泊2日目にして気がつく自分の愚かさに頭を抱える。明日のチェックアウト時に必ず礼を言おう。
⚫︎大自然を背景にローカル線がゆったりとした時の流れを知らせてくれる

2015年2月10日火曜日

北海道共和国

■札幌雪祭り
札幌は日本語を公用語とする異国である。「札幌雪まつり」の開催中に初めて訪れた札幌北海道は通貨、言語こそ日本そのものだがこの短期間の滞在中、常にインターナショナルな異国の雰囲気を与えてくれる。テレビ塔下のアイススケートリンク。歩くスキー体験コーナーでは係員に質問したら久し振りに日本語で話しかけられたのでビックリしたか、わたしの容姿が日本語で話しかけたので仰天したのか定かではないが、異国人率100%である。少し大げさな話だがわたし個人的な日本のイメージは年を重ねるにつれ、いくつかの国と地域に分割されはじめている。

⚫︎翌翌日の気温上昇と雨天により解体を余儀なくされた大通会場の「雪のスターウォーズ」




■日本連合国
経済の中心東京を拠点とする東京国家 (多くの自治区を抱えている)
自治拡大を図り大阪都を構想している関西(大阪・京都・神戸)州
③琉球王国(未訪問) 
④札幌を中心とした北海道共和国の誕生(今回初めて北海道を訪問)
〔実は勇み足で20代後半に函館大沼スキー場滞在済〕



■滝野すずらん丘陵公園
5才の次男坊を連れ、地下鉄と公営バスを乗り継ぎ札幌中心部から1時間程度の国営の小規模な子どもむけのスキー場に向かう。公営バスは1時間に1本で決して便利とはいえない。スキー場へのアクセスはスキーの特徴のである荷物が多い理由で必然的にマイカーが主流だろう。そんなことを考えながら地下鉄の終点で下車。公営バスに乗り継ぐバス停に向かうと予想を反して子ども連れの親子の行列が目にとまる。きっと北海道の人は東京国家の人に比べて堅実なのであろう。見習わなければならないな。と思っていると、どうも様子がおかしい。自分がまるで異国にいるようでその行列はアジア圏の人々、中でも中国人がバス全体の乗客の7割を占める。彼らが札幌の住人か観光客かはもはや問題にならない。東京国家ではバスを異国人が占用することはあり得ない話だ。インターナショナル都市、札幌はまさに異国。札幌共和国の誕生である。(後日のSL冬の湿原号により北海道共和国に改称)

⚫︎思いのほかまったくこわがることなくスキーを楽しんでいた次男坊には是非武道をさせてあげたい


■SL冬の湿原号
釧路から塘路まで釧路湿原を走破するSL冬の臨時列車に乗車した。切符を購入した10日程前に座席の大半は団体に占領されていることは知っていた。第二の人生を送っている年配の方の団体旅行であることは疑う余地もないだろう。しかし時代は2010年代もすでに後半。釧路駅3番線のプラットホームはSLを撮影するカメラマンでごった返していた。どうも様子がおかしい。交代でSLを撮影する阿吽のタイミングが合わない。所謂撮り鉄の譲り合うリズムとも違う。年配者の動きにしては早すぎるし、SLと写真におさまるモデル同士が頻繁にぶつかり合う。。。
客車内にはストーブも設置されており乗務員が多い臨時列車内のデッキで乗務員同士の会話を耳にした。苦笑いしながら。。。「お前、中国語が上達したな」


⚫︎異国人に占領されたSL号の客車。我々も北海道ではもはや異国人だ。



2015年2月9日月曜日

十勝川温泉 富士ホテル⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

●北海道河東郡音更町十勝川温泉〔単純温泉 弱アルカリ性 PH値:7.89〕


十勝川温泉の宿はどこでも日帰り入浴客を受け入れてくれる。選択肢が多いとそれを選別するのは大変な作業だが温泉好きにはまた楽しみのひとつでもある。数ある中から専用源泉を保有している湯元かけ流しの宿といった素朴な振る舞いの「富士ホテル」を選択。JR帯広駅より十勝バスで約30分。観光客の大半は大きなホテルで下車したが、残る1人の軽装な中年男性は、わたし同様「富士ホテル」で下車。すぐさまホテルの受付で日帰り入浴チケットを購入している。これは期待ができそうだ。植物性のモール温泉を初体験といった理由もあり、まるで久々に出逢う美女に胸がドキドキ高揚しているようだ。
⚫︎今回の旅の主役は5才の次男坊。良質な温泉地を通過している旅だが此処帯広でひと息だ。

少しだけ緊張した趣でゆっくりと脱衣場にはいる。上等品を捕まえたような感触は何もないが浴室に入ると硫黄と鉄錆の混合臭がほんのりと鼻をくすぐる。まったく上品な印象だ。湯は薄い茶褐色で弾力性があるヌルヌルというよりもスベスベといった具合の微弾性。植物性のモール温泉と言われなければ判別は難しい。

先に浴室に入った中年男性は狙い通りの温泉マニアだ。浴室に持ち込んだメモ帳にボールペンで丹念にメモ書きしている。明らかにわたしよりも年上だが、まわりを意識している様子で少し恥じらいがあるようだ。浴室は1つの浴槽でこじんまりとまとまっていてサウナと小さな水風呂が付属する。午後2時という時間帯もあって湯客は5人程度。浴槽に誰もつかっていないタイミングでその中年男性は透明の防水ケースから取り出した小型カメラで浴槽に流れ入る源泉にシャッターを切った。

トイピルカ北帯広ユースホステル

周辺の雪質は最上級のパウダースノーで水分を十分に含んだ雪に慣れている者にとって、雪だるまがつくれないほどの雪質はただ驚くばかりで、ホステルの方の話では今日の雪はまだ湿りっ気があるほうだそうだ。スキーだけをするためにわざわざ外国から北海道を目指す人があとを絶たない理由がわかる気がする。冬季札幌オリンピックの開催は時間の問題だろう。敷地内に薪がふんだんに積まれたロッジ風の施設と満足のできる食事は夢のサイクリング北海道旅行で是非また訪れたいホステルだ。


⚫︎小さな可愛いひな飾りは五人ばやし



豚丼

⚫︎豚丼(特盛) 1,200円  豚丼(小)650円 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 「豚丼のぶたはげ」

香ばしくて柔らかい豚肉に甘ダレが見事にマッチ。今度自宅で挑戦してみよう。



2015年2月8日日曜日

札幌円山ゲストハウスつむり庵

▪️廃止直前のブルートレイン北斗星の切符の取得は困難を極める。5年前に長男坊の5歳の成長を記念して石川県の金沢にちょうど2月の冬、二人で旅行に行った。金沢を選んだ理由は、

廃止直前のブルートレイン北陸に乗車する事
②スキー体験をさせる事
③加賀にいる学生時代の陶芸家の友人に会いに行く事


▪️今回も5歳になった次男坊の成長を記念して旅行を計画。北海道を選んだ理由は、

①廃止寸前のブルートレイン北斗星に乗車すること
スキーを体験させる事
③札幌雪祭りに行く事
④SLに乗る事

出発1週間前にヤフーオークションで都合の良いチケットに出会いすぐさま落札。割高だがいたし方ない 。ここまでは順調だったが札幌での宿が全く取れない。一泊2万円、3万円の高級ホテルは別として出稼ぎ労働者が寝起きするようなドミトリーから安宿、ユースホステルと全滅だ。世界から200万人の来場者があると聞く。札幌泊は断念か。。。電話すること10数件目、開業4年目のゲストハウスのベッドが1つだけ空いている。これは良かった。5才の次男坊と一緒に寝ればいいのだ。最悪のケースはこうして逃れることができた。

⚫︎ツードームは雪遊びができる札幌雪祭りの第2会場



ゲストハウスつむり庵は札幌大通りから歩こうと思えば歩ける距離の札幌円山公園の西に位置している。滞在2日目は案の定、市電の西15丁目から日がくれた雪道の中、なんなく歩いて帰ることができた。問題のベッドは幸運にも3泊中2泊は別々のベッドで寝ることができた。ゲストハウスの特長だが細部はその時になってみないとわからないところがある。

若い女性がオーナーで建物内は清潔すぎるくらいのところがあるが、我々を除いたゲストは全て外国からのお客さんということもあり堅苦しさは少ない。最終日にドラム式洗濯乾燥機を使用させてもらったが乾燥後の仕上がりが抜群に素晴らしい。初体験ということもあるが普段ペシャンコの肌着が本当にふっくらと別物のように仕上がっているのだ。経費はかかるだろうがドラム式洗濯乾燥機は素晴らしい技術だ。

⚫︎人なつっこい泉は「おまえ誰?」と外国人だろうが誰にでも話しかける

2015年2月6日金曜日

さよならブルートレイン

子供時分からこの時期のニュースを見るたびに一度行ってみたかった札幌雪祭り。ようやくめぐってきた人生折り返し後のこの機会。最愛の子どもたちの一人、5才の次男坊と廃止間近にせまった上野19:03発のブルートレイン「北斗星」に乗り一路「札幌」へ。



北海道新幹線開業に向けた青函トンネルの工事が必要とやらで3月14日を最後に運行を取り止める。そんな時期にこの車両に乗車している人達にビジネスの人は勿論、純粋な旅行者は数少ない。一眼レフのカメラ持参率は少なくても50%以上で、平日の出発もあってわたしには無縁のサラリーマン定年退職後の60歳前後の世代の方々が案外多く乗車されていた。

全11輌車を見渡したかったわたしは出発1時間後位で座席指定のある進行方向後ろの2号車のB寝台車から前方の客車へ向かう。ちょうどその中間あたりにロビー車と呼ばれるソファーがあるフリースペース車両があり、車窓から見える通過する駅ホームに立ち並ぶ帰宅電車を待つ人々に少しの優越感を感じながら自己満足している人々でごった返していた。その合間を縫って歩いて次の車両、食堂車へたどり着く。少しためらいながらもその食堂車と書かれた入口の引戸をゆっくりと少しあけて覗き込む。やはり食堂車は満席で照明が少しだけ暗い気がした。少し改まった雰囲気でデーブルライトにワイングラスをかたむけてディナータイムを満喫している人々とその対応に追われているウエイターでその食堂車は他の者の侵入を拒んでいるような気がした。客車前方に行くにはその空間を通過し、また数分後に戻ってきて再びそのテーブル脇を通過することで、その勇気はいまのわたしにはなく、素直に前方の客車への移動は諦めた。そして再び人混みのロビーカーを縫って帰るその途中、少し興奮した様子で首から大きな一眼レフカメラをつり下げた60歳位の男性に気をとられる。その男性は同じような境遇の人達に向かって大きな声で語っている。あれではロイヤル(前方の車両にあるグレードの高い個室がある車両だろう)に行けやしない。まったく理解できないとの趣旨の事を語っている。いい大人がまるで子どものように我を忘れ夢中になっている。一般常識の無いオタクジジイ我慢しろよと思う気持ちは僅かばかりで、どうしてどうしてまだまだ本気になれる物しっかりと持っているその心に大きく揺さぶられた。彼等から見てまだまだ若いわたしがこんな物分かりの良い人ではいけない。そんな気持ちにさせてくてた所謂撮り鉄の人生の先輩方であった。
⚫︎午前4時の青森駅で機関車交換作業に車内から曇りガラス越しにその機関車のトレードマークを写真におさめる人々でごった返す1号車の最前列
曇りガラス越しに見えるうっすら赤く見える部分が機関車で青く見える部分がそのトレードマーク

気がつけばその列に並んでいるわたしがいた

2015年2月2日月曜日

トータス温泉⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

山梨県甲府市中小河原町〔炭酸水素塩泉〕

JR身延線の甲斐住吉駅近くの国道20号線と精進湖に至る国道358号線との交差点そば。貸自転車のサイクリングも甲府駅から少しずつ距離を稼ぎ、直線で約4キロの距離まできた。この辺りに温泉が、、、と辺りを見渡しているとトータスマンションとの看板を発見。まさかトータスとは地名ではあるまい。すぐさまマンション裏手の北側に自転車で向かうとありましたありました。ちょうどトータスマンションの建物の影の部分にひっそりと建つトータス温泉。見つけました。
⚫︎トータスマンションの裏の日陰にひっそりと建つ“トータス温泉”

受付で昨日も来たお客さんが“今日はゆっくりするよ”と昨日の日曜日の混雑ぶりに受付の昭和の婦人に音をあげていた。トータス温泉の休日は混雑するようだ。これは期待が膨らむ。

湯は薄い茶褐色で鉄錆臭+石油臭+硫黄臭の仲良しトリオだが全体的に濃度が低いマイルドな味わいだ。しかし加えて海に近い地域でよく出逢う塩味が見事にブレンドされていて重厚感があり、まことに素晴らしい湯だ。露天ではその湯の素晴らしさを万民にアピールするための大きな掲示板が大学教授のメッセージといった形で説得力のある地層の断面概略図付きで書かれている。しかし表現が少し誇張されすぎで個人的には良い意味でのB級感が歪めない。


月曜日の午後だが常時5〜6人は入れ替わり客が絶えない。内湯のタイルには上等な温泉の証である茶褐色の湯の成分が薄っすらと付着している。やはり毎日のように温泉に入れば身体も茶褐色に変化していくだろうか。。。湯温は露天を含め“あつ・ふつう・ぬる”に対応した3つの湯舟で満足することができる。なぜ“トータス”という名かは聞くことができなかったが親族経営であることは間違いないであろう。こんな家庭的な温泉銭湯がいつまでもあり続けられることが未来の良い日本の姿のひとつだとつくづく思う。
⚫︎地層の断面概略図を露天風呂に浸かりながら眺め、もの思いにふけると40分が経過していた


吉田うどん

⚫︎肉うどん 500円 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️「うどん旭」

山梨の郷土料理。富士吉田市の吉田をとって吉田うどん。
硬めのうどんは硬めのご飯好きにはクセになる。スープも出汁が見事。
昼時の甲府市内のお店はお客さん30人位をウエイトレス1人で切り盛りしていた。

つつじがさき館跡(甲斐)


⚫︎初めて出張先で迎える朝のホテルからの景色は富士が見える

月曜日の朝10時頃の冬晴れの武田神社には思ったより多くの訪問者があとを絶たない。さすが甲斐山梨の戦国武将が神としてまつられているだけはある。武田神社というよりはつつじがさき館跡と聞いた方がより歴史を感じ、武田家の歴史が脳裏をかすめおもわずベンチに腰掛け時を忘れる。

JR甲府駅から北へ一直線の参道は2キロぐらいあっただろうか。緩やかな上り坂がひたすら続く。四十後半にさしかかった足腰はビジネスホテルのレンタサイクル(ママチャリ)もあり途中休憩を必要としていたが踏ん張りなんとか鳥居までたどり着いた。長男坊と昨年富士山麓へ雨天の中、道に迷いながらも自転車で登りきった事を思い出す。

⚫︎武田神社から南へ一直線にのびる参道途中には山梨大学がある

甲府盆地は北に遠く秩父山地まで山が連なり、西は南アルプスがそびえ一番雪が濃く見える北岳が堂々とそびえ立つ。路がつながるのは北西へ信州への路と南へ駿河への路。当たり前のことだが信玄が戦った相手の理由がわかった。隣近所と仲が悪いのは今に始まった事ではないということか。子供時分から気になっていた鉄道の中央本線がなぜ塩尻まで北上し再び南下してしていく理由がいまはじめてはっきりと解き明かされたような気がする。

⚫︎西には近い将来の夢、南アルプスが堂々とそびえ立つ。

今朝の新聞一面記事はゴトウケンジさんが中東の過激派集団に殺害された事を報じている。武田神社の本殿で冥福をお祈りした。過激派集団はたまたまイスラム圏に属しているだけでイスラム教が危険な宗教でないことは万人が心得ていることだ。日本は幸せなことに島国であるため、隣近所が海を隔てある単一民族国家であるためほとんど内戦というものがあり得ない。もう十年も前になるだろうか、日本一億二千万人総中流階級ともてはやされた。今たまたま本殿前でシルバーマダムのサークルだろうか。20人程度で君が代を合唱している。君が代は国歌。国歌に非ず。。。適度な距離がありグローバル社会の現代、経済問題を除いた近隣諸国との争いは日本の過去の過ちの償いと海洋に浮かぶ小さな島の領土問題程度に過ぎない。ある意味とても幸せなことの証してあると思う。そして今のわたしである。週末しっかり働き、1月は年末年始の休暇以来休みがないといっても、月曜日の朝から一人のんびり出張先で観光地めぐりとは誰に聞いてもとても幸せなことである。

⚫︎うっすら雪化粧の本殿屋根は入母屋造り

2015年2月1日日曜日

遊亀温泉⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

◉山梨県甲府市 〔単純泉〕

一路「遊亀温泉」へ!
湯村温泉郷から地図を頼りに約30分の自転車こぎ。
街路灯もまばらな住宅街の奥に建つ遊亀温泉の遊亀はどうやら地名らしい。

自転車に鍵をかけ早速、戸をくぐり脱衣場に入ると「いいにおいだ」。湯が正真正銘の温泉であることは疑う余地も無い。湯は茶褐色で鉄錆臭+石油臭+硫黄臭の仲良しトリオ。水栓金具や浴室のいたるところが温泉エネルギーによって茶色に染まっている。これは上等品の証だ。もう気分は最高潮である。

浴室では延べ10人位の年配の方が湯を楽しんでいる。浴槽に目をやると湯出口にはカップが置かれている。これは正式な飲料可のサイン。堂々とコップに温泉を注ぎ軽く一口含んだ。温泉では飲料可のサインがなくても口に含んで味見は欠かさないが、カップが置かれている分、さらにもう一口軽く飲み込んだ。確かにうまい。高貴なお茶っ葉があったらこんな味だろうか。これは身体によさそうだ。ペットボトル持参の旦那も目につくので是非再訪時には水筒持参で来なければならないだろう。

桶の音だけが響く浴室の雰囲気が一変したのは刺青の男たちが入ってきてからだった。30代の若者が60代のボスの背中を流す。湯舟の中では自然に会話が弾む。一般社会人の奥歯に物が挟まったような物の言い方に慣れている現代人には歯に衣着せぬ物言いがとても新鮮で楽しく聞こえる。反社会的な集団と指を刺される人たちは、じつはとても人間的であることは間違いない。

子どもの頃に銭湯に行けば必ずいた刺青の男。昨今は「入れ墨お断り」の紙が堂々と貼られているスーパー銭湯ではまったくお目にかからなくなってしまったし、首都圏の銭湯でももはや珍しい存在だ。湯上りの脱衣場では出入口の引戸の調子が悪いのを見つけるとすぐさま引戸を吊り上げ、レールにしっかりとはめ直していた。こんな芸ができる日本人はもはや彼らと建築職人ぐらいだろう。


⚫︎日が暮れると辺りは真っ暗。看板の灯りを頼りにやっと辿り着いた。

明くる朝、甲府のビジネスホテルのシングルルームの3点ユニット(風呂・洗面・トイレ)で用を足す前に便座に腰掛けると突然、鉄錆臭+石油臭+硫黄臭のとてもよい香りが鼻をつく。ビジネスホテルには温泉は無いのにどうして。。。

あたりまえのことだが昨晩、カップにふた口。口から入ったもが体内を巡り、その濃度を保持したまま出るべきところから出てきたのである。このガスはなんとも忘れることができない素晴らしい香りで二度おいしい遊亀温泉あった。



湯村温泉共同浴場

◉山梨県甲府市湯村

2月の寒空の日曜日の夕刻、講師活動終了後さて活動開始である。ネットサイトの情報を頼りに今夜は歴史ある温泉郷「湯村温泉」の共同浴場探訪である。昭和の雰囲気が残る名湯。。。こんなキャッチコピーで紹介される温泉街は時代に取り残された閑散とした温泉街であることは容易に想像できる。しかし、怖いもの見たさである。40代も半ばを過ぎたにもかかわらず相変わらずの性格だ。

情報では湯村の共同浴場は一ヶ所のみで夜9時までの営業だ。路線バスの終バスは既に完了し(日曜日の甲府駅発着の終バスはおそろしく早い)途方に暮れてビジネスホテルのチェックインを済ませると、なんと自転車を無料で貸し出しているとのこと。これは大変ありがたい。ホテル入口に無造作に置かれた自転車は計2台。早い者勝ちで予約は受け付けていない。今時、予約を受け付けていないのは10年以上通っている戸塚の床屋さんとこのビジネスホテルのレンタサイクルか。自転車は何れもママチャリだが、これほどママチャリが有り難く感じたことはない。急いでチェックインを済ませ部屋で着替えること僅か数分。特別急ぐ理由はなにもないのだが、もし、万が一にもその間に他の客に自転車を取られてしまわないか。。。という気持ちがはたらいたのだ。我ながら温泉にかける情熱には熱いものがあるなと再認識した。

甲府駅前より自転車でようやく共同浴場「鷲温泉」にたどり着いたのは夜の7時過ぎ。道路街灯の明かりではっきり分からないが、どうやら建物内の電灯が灯っていないようだ。もしや数分のちがいで夜の7時に閉店してしまったか。これは悔やんでも悔やみきれない。仕方なく明日の甲府界隈探索の目的地の一つに加えるしかないと考えながら建物に近づくと、この建物は「過去の遺産」であると看板が掲げられている。時の流れには逆らえない。すでに営業を止めてしまっているようだ。非常に残念だが仕方ない。。。さて今夜のこのあとのことを考えるとのんびりしてはいられない。旧共同浴場の建物の写真も撮ることもなく次の行き先、夜も営業している近場の温泉銭湯を探すことにし湯村をあとにした。

⚫︎甲府駅前より自転車で15分。レトロな温泉街入口のネオンに期待が募り思わずママチャリと記念撮影。客待ちのタクシーが目前に停車していてシャッターを切るのを少しためらった46歳の冬。